ここが Hen!

(番外編3 メジロ)


 私の専門は園芸だが,鳥が大好きである.祖父も大の鳥好きで,メジロ,ホオジロ,ウグイス,ジョウビタキ,ヒバリ,ヒヨ,カナリア,ジュウシマツ,ヤマガラなど,100羽以上の鳥を飼っていて私は生まれたときから鳥の中で育った.

 祖父が特に好きだったのがメジロで,各部屋には少なくとも鴨居(かもい)の4隅にメジロが1羽ずついたので,20羽は飼っていた.メジロは,うぐいす色の体に目の回りだけ白く,派手な原色を好まない日本人好みの色や姿だけでなく,メジロ籠(かご)を小さな体で右や左に忙(せわ)しなく動く仕草も,チーチーという特徴のある鳴き声も本当にかわいい.鳴き声の大きく目立つウグイスや羽の色のカラフルな野鳥がたくさんいる中でメジロは最も人気のいい和鳥であった.ホオジロを飼っている人もいたが,メジロほど多くはなかった.このように,メジロを飼っている人が多かったので集まって品評会を開くこともあった.品評会と言っても,美しさを競う訳でも,闘鶏のように喧嘩させる訳でもなかった.延岡駅に近く,交通の便が良かったのでメジロの品評会が私の家で行われたこともあった.メジロの品評会を見たことのある人は少ないと思うので記録のために書くが,試合は,畳の間に愛好家の方がたくさん集まり,正面に置かれた台の上にメジロ籠を二つ並べて間に衝立てを置く.その衝立てを外すと2羽のメジロが盛んにチーチーと縄張りを主張しあうように鳴く.主にその鳴き声の美しさで優劣を競っていた.私の記憶では,声もそれほど差はなく,姿や仕草では優劣を付けがたく,主観が働くので勝ち負けが闘鶏ほど明らかではなかったように思った.ただし,日本で,ニワトリの‘東天紅’やカナリアの流行っていたのも声の美しさで,ペットとしてのメジロの評価基準が声であったのは,いかにも日本らしいと思っている.宮崎県の県北のメジロは声がいいと言うことで全国に知られていた.相撲と同じような番付表があり,1960年頃の価格で,横綱になると1羽が当時の額で2万円もしていたが,祖父が亡くなって世話をする人がいないので人にあげたと後で祖母から聞いた.

 祖父は何でも自分で作っていた.江戸時代に菊を持ち歩くために専用の箱があったり,カナリア籠があったように,全国的にほぼ同一規格のメジロ篭があった.それを持ち運ぶための専用の箱もあったので,街を歩く時,中を見なくても鳥が入っていることはすぐに分かった.ただし,メジロ籠では,メジロ以外の野鳥を飼うこともあった.祖父は,戦争の頃一時期竹屋さんをしていたこともあり,何にでも拘(こだわ)る性格だったので,高千穂や日之影の古い壊れた家の天井に用いたスス竹(マダケかモウソウチク)を筏(いかだ)にして延岡まで運んだこともあったと聞いた.それを割ってヒゴをつくるための道具でヒゴを作り,作ったヒゴで篭を作っていた.餌によって声が変わるということだったので,餌は,大豆を炒ってそれを粉屋さんに持って行ってきな粉を作ってもらい,ダイコン葉などとすり鉢ですって練り餌を作っていた.

 メジロの取り方もいろいろとあった.一番普通に行われていたのが,鳥もちで捕る方法で,雄のおとりの入ったメジロ籠をメジロのいそうな山の木にセットし,その前の停まりやすそうな枝に鳥もちを付ける.鳥もちは濡れていると手などに付かないが,乾くと粘着性が強くなり,メジロはもがくと足だけでなく羽もくっついて逃げられなくなる.おとりを持っていない人は,口笛でメジロの真似をしても集まってくるし,水場でよく停まる木を見つけておいてそれに鳥もちを付けてるだけでも捕まえることができた.昔から人をそれほど怖がらなかったので,近くで見ていても捕まえることができた.祖父の知り合いには,鳥の巣を探すのが得意な人がいてヒナから育てる人もいた.ただし,当時も無許可でメジロなど野鳥を捕ることは禁じられており,祖父もメジロを捕りに行く時には,腰に鑑札の割り符を持っていて,また,雄だけが捕獲を許可されていたので雌はその場で逃がしていた.その後,メジロは木に着く虫を食べる益鳥だし,野鳥を捕まえること自体,自然保護の立場で問題なので,許可をもらっている人でも飼うのは1羽に制限された.

 ついでであるが,延岡の方言でヤンモチと言われていた鳥もちは,今で言う「ペットショップ」で売られていた.一度だけ祖父が自分で作っているのを見たことがある.樹皮から鳥もちのとれる木はモチノキだけでなく,モチノキ科のクロガネモチ、イヌツゲ、タラヨウ、ソヨゴの他,ヤマグルマ科のヤマグルマの樹皮からもとれる.鳥もちを作るには、春から夏にかけてそれらの木の樹皮を採取し、数カ月間水に浸けて腐らせた後、臼でついて組織片などを洗い流すと鳥もちだけが残る.鳥もちの主成分は黐蝋(もちろう)と呼ばれるろう質の物質で、アルコールなどの有機溶剤には溶けるが,水には溶けないそうである.

 その私の大好きなメジロが,我が家に秋から春にかけて,ほぼ毎日,しかもいつでも見ることができ,手の届きそうな所で蜜を吸っていることもある.それは,私が研究していることと関係する.大学院の時,たまたま与えられた研究が,ツバキの研究,中でも秋に咲くサザンカと春に咲くツバキの中間の形質を持ち,冬に咲くハルサザンカの研究であった(私が学名を付けた唯一の種).今では家にもたくさんのハルサザンカが植えてあり,ハルサザンカをたくさん植えている家は多くないので,花の少ない冬には特にその蜜を吸いに,回りのメジロが我が家を目指して集まってくる.メジロを集めようと思ってハルサザンカの研究をした訳でも,家に植えた訳でもないのに,うれしいことに私の回りにはメジロが集まる.

 このように,ヤブツバキの花粉の媒介者としてメジロの存在がある.ヤブツバキの遺伝的多様性は他殖(他家受粉)をすることによって生まれたもので,それはヤブツバキがメジロやヒヨなどによって遠くまで花粉を媒介してもらったお陰であることをアイソザイム分析などで明らかにしたグロリアとは1986年頃,1年間ノースカロライナ大学で一緒に研究を行った.彼女が博士号の学位を取った後だったので,メジロについての私の知識で協力をしてあげた訳ではなかったが,今考えるとここにもメジロとのつながりがある.そもそもヤブツバキが赤い大きな花を咲かせるのは,鳥の好む赤い色でメジロやヒヨドリを呼び寄せ,花粉を頭などに付けるのにいい形とサイズだと考えると納得できる.また,虫もたくさん訪花し,授粉にも貢献している様に見えるが,あれだけたくさんの蜜を準備しているのは虫にとって多すぎるので,鳥たちへのお駄賃.ご褒美と考えないと説明できない.

 このように書くと,私が単に運のいい人生を送っているだけのように思う人も多いかも知れない.本当は,メジロを見て幸せを感じるかどうかの違いだと思うし,メジロだけに限ったことでもないと思う.


 

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