波野プレイキャンプ

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 2004年10月16,17日に波野の家で子供達10名を集めてプレイキャンプをしました.緑のまちづくり交流協会の主催で,グリーンヘルパーの会の協力で行ったものです.インターネットで流していいという許可をもらっての報告です.いつも思うのですが,世話役のグリーンヘルパーの方は本当に多士済々です.そのグリーンヘルパーの一人一人に注目しながら振り返ってみます.60歳以下は私を含めたった3人,他は82歳を最高に60歳,70歳の精鋭?でした.今回の総合責任者は岡田さん(写真右端)でした.温厚なお人柄と子供達に何かを伝えたいという情熱のすばらしい人です.何でもできる方で一昨年は竹小屋を,昨年は茅葺き小屋を設計し,これらの多士済々のメンバーを引っ張って作り上げた方です.今年も何か企画したかったに違いありませんが,全体のまとめ役に徹していました.


竹とんぼ作り!

 まず,最初にしたのは竹とんぼ作りでした.担当者は吉田さん(左から2番目).国際竹とんぼ協会の主力メンバーで,準備してくれた竹は秋に切った2,3年生の竹を1年寝かせ,ソーダ水で煮て油を抜いた後さらに1年寝かしたものです.これだけ聞いてもすごいと思うのですが,さらに竹を削ったものに競技用には金属を張ります.私も以前競技用のものを3つ貰ってあまりのみごとさに床の間に飾っていたのですが,誰かが勝手に飛ばし,無くなってしまいました.ちょっと高級なものは金や銀を張るそうですが,金だと材料代だけで6000円もかかるそうです.競技では,滞空時間18秒,距離では70m以上出さないと優勝できないそうです.

  子供たちは,できた竹とんぼに色を付け,飛ばし方も覚えて空いている畑でのびのびと遊んでいました.


竹細工
 

 次は,その他の竹細工です.裏山から孟宗竹や真竹を切って来るのですが,ノコギリを使って竹を切るのも初めての体験のようで,倒れるときには感動の声を上げていました.その竹で,皿やコップ,はしを各自作るときにナイフやノコギリ,ナタの使い方を教えました.竹でチャンバラをしたりしていましたが,これも初めての経験ではなかったかと思います.便利な生活に慣れた町の子供達には,田舎の生活の大変さより楽しさが先のようでした.境さんが言っていましたが,子供の時には一本の竹が,刀になったり,肩に担げば鉄砲になったり,またげば馬になったりしたものです.


竹馬作り

 その境さんと田添さんが作ったのは竹馬です.60歳以上の方が10人ほどいたのですが,なんと全員が竹馬を自由に乗れたようで2階から乗っていたという坂梨さんの他,川や水田の中でも乗れていたなど自慢話で盛り上がり,実際今でも驚くほどのうまさでした.

 子供達もチャレンジしていましたが,2日間で乗れるようになったのは半分もいませんでした.因みに私は子供の時にはある程度できましたが,なぜか今は恐くて乗れません.特筆すべきは田添さん(写真左)で,現在猟師ですが,山や川,昔の生活の知識については私も井目(せいもく)くらい置きたい相手です.イノシシをよく穫ってきてくれたりするのですが,今年はスッポンを10匹ほど捕ったとのことでした.72歳ですが,竹馬も一番うまく乗れました.

 田添さんは,熊本特有のチョンガケゴマの回し方も上手で,子供達も感心していました.


風呂焚き

 五右衛門風呂の担当は,坂梨さんか河崎さんだったと思います.栓が折れていたので裏のカエデの木で作り直しました.ツバキやカシ,ウメの木のような堅い木であればいいのでしょうが,これにサラシを巻いて栓にしました.風呂の焚き付けには竹やスギを使います.火吹き竹を作ってあげたら子供達は一生懸命湧かしました.夕食後,交代で賑やかに入っていました.


農具

 坂梨さん(写真左から坂梨さん,吉田さん,境さん)は,私がボランティアで判定委員会の副委員長をしている熊本有機農業研究会の事務をしていて世の中狭いですねと言っていた方です.イナワラで作った袋であるカマス(口入と書くらしいのですが初めて正式な名前を知りました)の使い方だとか,土壁を塗るときには新しいイナワラではなく,叩いて平たくした??(筵ムシロですが,別の名前を言っていました)の方がいいとか色々と教えてもらいました.このように,先生は一杯いますので,その内,土壁をダッシュ村のように自分たちで塗ってみようと思っています.


抜け穴(洞窟)探検

 抜け穴(洞窟)探検の担当は,境さん(4人の子供達の後)でした. この方もいろんな知識・技術を持った方です.子供達に何かあるといけないと先週も調査に入り,今日も子供が来る前に入るという念の入れようです.その後も子供達と数回入り,コウモリが手の届くような所にいたとか,コウモリの子がいたとか子供達と感動を分け合っていたようです.カマドウマという足の長いゲジゲジのような虫がたくさんいたそうですが,これはコウモリの糞をエサに生きている昆虫で,気持ちはやや悪いかも知れませんが,決して危なくないものです.水源では天井から降ってくる水を子供達は飲んでいたようです.熊本市内の近所の子供を連れてきた田中さんは,その子供達がなかなか帰ってこないので心配で探しに入ったほど長い抜け穴です.子供達も一番面白かったものにあげたひとつがこの洞窟でした.


ご飯炊き
 

 その田中さん(写真右)の役割が竈(かまど)で羽釜を使ってのご飯炊きでした.そもそも男子厨房に入らずと教育された時代の男性が中心ですので,いろんなことに詳しい田中さんも最初は勝手が違ったようでしたが,ちょっと焦げの入ったご飯は子供達に大人気でした.実は,田中さんは私と同じ町内会の囲碁のメンバーでもあります.


夕食
 

 
 自分で作った竹の器で夕食を食べている子供達です.永田さんの作った食事は大好評でした.スタッフの紅一点でダントツに若かったのが永田さんでした.行事の多い日で他の女性のグリ−ンヘルパーの方の参加がなく,家内が福岡でどうしても参加しなければならない会議などあって今回は参加できなかったし,友達を誘って参加したいと言っていた娘もやむなく参加できなかったので賄(まかな)いの負担が永田さんにかかりました.台所仕事を文句も言わずにされていた永田さんには頭が下がります.お手伝いさんを雇うなどが今後の課題だと思います.


四方山話

  子供達のご飯の後,(岩下)一之信さん(写真右)に話をしてもらいました.一之信さんは,オーム真理教時代の村長さんで,苦しい財源から9億7千万円を払って土地を買い戻したため一部の議員の方たちから攻められて村長を辞めた方です.しかし,信者が大挙して来て住民の半分を占めたら議員も村長も信者になり,大変なことになっていたかも知れません.どうしたら村をよくすることができるかをいつも考えられている方で,すばらしいお人柄の方です.


遅起き?

 子供を寝かせた後,大人はしばらくはお酒を飲んで話していました.子供を預かっているのにおかしいという方もいるかも知れませんが,田舎ではこれが普通で,これでいいのです.ただ,その中にあって米原親子は早寝でした.豆腐屋さんをして朝は3時起床ですので一種の職業病だと言っていました.翌朝,子供達は6時起床の早起きでしたが,米原親子は5時起床の遅起き?でした.

 波野の朝は一年中6時になると拡声器から流れるカッコウの曲で目覚め,6時半のラジオ体操で始まります.河崎さん(写真左)は,男性の中で一番若い40台ですが,熊本グリーンヘルパーの会の会長で,すばらしいまとめ役です.家は元々農家なのですが,親が現在阿蘇町の町長をしていて農業ができない状態なので近い将来,就農しようという希望を持っています.


豆腐作り

 米原さん親子(写真)です.お父さん(右)は82歳の大先生で今回は特別ゲストです.息子さん(左)はグリーンヘルパーのメンバーで3年前から家業の豆腐店を継いだそうです.1日60丁限定で作っているとのことで,今朝は,小型の豆腐の型などを準備して特別製造です.流石にプロ,豆腐が甘く美味しかったです.みそ汁にも入れて朝食で食べました.雪花菜(おから)はお土産です.本当の豆腐は1日しか美味しくないとのことでした.熊本市内だったら配達をしてもらえるとのことで,我が家も配達してもらうことになりました.

 その米原さんのお父さんですが,二天一流宗家代見,手品,童話の語り部などいろんな特技があり,楽しませてもらいました.特に二天一流宗家代見として昨年宮本武蔵の番組でNHKに出演したそうです.どこかで見たことがあるなあと思っていました.


荻岳登山

 荻岳登山の責任者は,東さんでした.62歳なのですが,天草パールマラソンに20年連続で参加しているそうで,山にもよく登られています.熊本100名山,九州100名山,日本100名山など目標を決めて挑戦し,達成しつつあるそうです.責任者と言うことで前の週も,前の日も上っています.

 9時半に出発し,神楽で有名な荻神社(写真は荻神社のご神木であるスギの木)を通って子供達は元気に登頂しました.
 
 

はじけるツリフネソウの実に驚く子供たち
 

やったぞー!

 荻岳登山の責任者,東さん(写真下中央,因みに左から中嶋さん,吉田さん,東さん,岡田さん,米原さん)を中央に記念写真を撮りました.四方える(843m)頂上は,阿蘇山,久住山,祖母傾山をの大山塊の中央に位置し,長崎,佐賀,福岡,熊本,宮崎,大分という九州の大部分の山が見える大パノラマです.全員無事に登頂し,お昼ご飯を食べて降りてきました.後で聞いたところによると「きつかったけど達成感があってよかった」とのことでした.



 
長崎原爆




 山頂で,6年生の子供が,原爆について習っていると言うことで,たまたま二人いた被爆者の一人中嶋さん(写真中央)の話が聞けました.中嶋さんは,長崎近辺の軍隊にいて被爆直後に長崎に入ります.途中,水をくれと言う被爆者の方々の悲惨な状況,水をあげたら(返って弱って死んでしまうから)いけないと言う命令の中,一部救助しながらの長崎入りしたそうです.1週間ぐらいして爆風で木の又にかかっている死体が膨張して下ろすこともできなくなっていたことや頭の包帯を外したらウジ虫がたくさん出てきたことなどなどこれまで聞いたことはあったが,少し誇大に言われているのではないかと思っていたことが実際の目撃者から生の声で聞かせてもらいました.子供達の中には目をはらしている子もいました.下山途中で中嶋さんがこのような話をしたのは正式?には初めてと言うこと,今後機会があれば語り部になる気持ちもあることを聞かせてもらいました.子供にとっても私達にとっても貴重な話でした.


グリーンヘルパー

 このように参加された方は,いずれも驚くほどすばらしい方たちばかりで,こういう人たちに巡り会えたのは感動以外の何ものでもありません.ただし,誤解されないために書きますが,どの人も普通の人でもあります.一之信さんは元村長と書きましたが,元々打算で動く政治屋ではなくオーム真理教との壮絶な戦いの後,私が知り合ったとき政治から手を引いていて普通の農家でした.米原さんは町の小さな豆腐屋さんです.他の方は,主に退職後のボランティア(グリーンヘルパー)として出会った方たちです.それらの人たちにはみんなすばらしい取り柄を持っていたのです.それでは,私はどうかというと,私は反面教師で,好奇心はあるのですが,中途半端な知識しか持ち合わせていません.グリーンヘルパーの方の技術.知識に感動するのが役割です.


まとめ

 子供達や趣旨を理解し参加の機会を与えてくれたその御両親もすばらしいです.子供達の生き生きとした目,迎えに来たご両親に話しているときの顔,やってよかったなあと思うときでもあるし,来年の活力になるときでもあります.プレイキャンプでは子供達にいろんなことを教えているようですが,実は一番興味を持って学んでいるのは私だろうし,一番楽しんでいるのはグリーンヘルパーの方たちだろうと思います.以前,行った「遊びの達人養成講座」で波野の家に来た宮崎のグリーンヘルパーの方たちが「宮崎にも拠点がほしい」と思っていた所,グリーンヘルパーの一人が持っていたログハウスがあり,拠点の一つとして利用しているそうです.そのログハウス,「ロキシー・ヒル」が,NHKの朝のドラマ「若葉」のロケ地の一つになったと聞きました.波野の家の輪が,広がっていけばいいなあと思っています.