衰退する文化

(本質を見抜く力 第9話)


 当時のイギリスだけでなく,現代より江戸時代の方が文化が高かったと言えば大げさと思われるかもしれない.確かに,化学,物理,数学,生物学,社会学,文明,医学など近年の科学の発達には目覚ましいものがあり,コンピュータ社会,ユビキタス社会に私たちはどっぷりと入ってしまった.この科学文明社会は,日進月歩で新しい知識,新しい技術が工業,農業等の生産性を高め,私たちの生活を豊かにしている.一方,私たちヒトは,他の生物と異なり,遺伝子,本能だけで生きているのではなく,学習、模倣というミームを獲得して文化や文明を作り上げた.その能力は若い時に高く,また,新しい発想もそんなとき生まれるが,年を取り,やがて死を迎える.悠久の遺伝子の流れの一方で,学習した文化,技術は遺伝せず,子孫は新たに学習しないと文化は廃れる運命にある.言い換えれば学習しない子供は,その分野で親より劣る.また,ヒトの学習の遺伝的能力は,100年や200年でそれほど発達しておらず,学習する内容が変化すると先祖の作った文化,技術の多くは継承できない.

 それでは,江戸の文化を概観してみよう.伝統芸能としては,能,歌舞伎の他,狂言,落語,漫才,浪曲,浄瑠璃,にわか,神楽,などが,文学として和歌,俳句,川柳,戯作,小説,肥後狂句などが,絵画では,狩野家や尾形光琳等が活躍した屏風絵,ふすま絵,掛け軸の他,ヨーロッパの印象派の画家に影響を与えた浮世絵などの大衆画が,音楽として宮廷音楽の雅楽だけでなく,大衆音楽の笛,太鼓,鐘,三味線,民謡など,あらゆる文化がほぼ完成の域に達していた.ゲームとして囲碁,将棋,カルタ,花札、賭博だけでなく,花火,祭り,温泉,旅行などを楽しむこと,子供の遊びなどとして独楽,凧,あやとり,折り紙なども文化である.また,日本人にも今では異様に思える髷(まげ)など凝っているとしか言いようのない髪型に匹敵するものが他の国にあったであろうか?髷も着物などと合わせて日本人の持つ美意識の結果であったろうし,それに時間をかけるということも余裕から生まれたレベルの高い文化である.さらに,日本では,ニワトリの育種も美しさのために尾長鶏や闘鶏のための軍鶏(しゃも)の他,鳴き声を競う‘東天紅(光)’などや鳥,小型犬の狆(ちん),アザラシや象等の珍しい動物がブームになったりした.子供の遊びと書いたが,実際には,折り紙などに大人が夢中になり,信じられないようなすばらしい作品を次々に発表した.

 大衆的なものは,高度な文化の基礎となるのであるが,家元制度に代表されるプロの世界が発達したのも特異的である.お茶,生け花,囲碁,将棋など家元が,幕府に保護され,人々に尊敬されながら成立し,文化を高めた.能や歌舞伎等の伝統芸能は物心がついた時から初め,プロが育った分野,家元制度ができた分野では,一生をかけて初めて一流になれるかどうか,親を超えられるかどうかのレベルにあった.一般に囲碁や将棋、相撲等の世界でも高校等で勉強していたらプロでは通用しないと言われる.このように,それが一生をかけて学習できるかどうかの高度な文化であれば,科学文明の中では文化より科学等の学問をしないといけない現代の若者には時間的余裕がなく,従って,伝統芸能のような文化を継承し,先祖のレベルに到達することは到底無理である.陶器,磁器等の焼き物,漆細工,螺鈿細工,仏像等の彫刻家,刀剣などプロの職人の世界も高度なものであった.本人たちは気付いていたかどうか分からないが,絵画なども単なる職人の域を超えて一部の分野では,かなりの職人が芸術家としてのプライドを持っていたものと思う.

 禅,仏教,神道などの宗教の他,儒教や道教等の哲学も文化である.江戸時代は,このように色んな分野で,たくさんの人たちが,それぞれの分野で一生をかけて努力し,それぞれの分野が有機的に影響し合った結果,江戸時代には高い文化が発達・成立した.たとえば,寺小屋,「咸宜園(かんぎえん)」などの私塾,藩校など教育制度は,儒教などの学問だけでなく,和算なども発展させ,世界一の文盲の少なさとして現れた.園芸植物の品種,折り紙や詰め碁などの作品には,文学的なすばらしい感性,センスで名前がつけられた.その感性・センスの中でも日本人に独特に発達したものが,自然を愛でる心から数奇,粋,侘び,寂びの世界である.また,ヒンズー教や密教,仏教の「空」,道教等の「無」の概念,悟りの世界,その悟りを開くため,あることを突き詰めて生きる「道」として色んな習い事,文化が,単に強くなったり他の人と競争するためのスポーツや単に美しいものを作り出したりする芸事を超えた世界を作り出した.すなわち,剣術や柔術から発展して,刀剣,鉄砲,弓などの武器をも座禅と同じような悟りの道具に,剣道,弓道,相撲道,柔道,居合い道,空手道,鎖がま道,泳法などがスポーツを超えたものとして発達した.同様に,個人の趣味としての茶道,華道,百姓道も剣道等と同様,トップクラスになるとそれを極めることによって悟りを開く方法としても存在した.縄文,弥生時代にも遡るように思えるきれいなものが好きだという国民性も影響した,今も昔も日本人が世界で一番風呂好きだということを言っているのではない.見た目の美しさを重んじる日本食からこれまで書いた芸術まで見て美しいものだけではなく,心の美しさまでこだわったことも日本文化の共通性としてあげられる.原色を好まず,小さなもの可愛いものを愛でたという共通性もあった.

 中国で火薬が発明され,ヨーロッパに入って武器となったものが,日本に来て花火として発達した.種子島から日本に入って来た鉄砲は,戦国時代,活躍し,多くの鉄砲や大筒が作られた.それを作る堺の一派は,力(金)を持ち,再び治安の悪くなることを恐れた家康は,堺の鉄砲鍛冶を和歌山で子孫を含めて優遇したという.しかし,鉄砲の注文は一件もなく,子供の代には伝えたとしても孫やひ孫の代になると親以上のものを作る技術は残らなかったものと思う.幕末,あるいは明治になって一からの出直しであった.火薬や大砲を作る技術は,八尺玉を空高く打ち上げ,色とりどりの花火を作った.世界に誇る花火と言う文化になった.同様に鎖国政策で日本人を外国に行かせないため江戸時代には雨が降っても水がたまらない甲板など造船の技術も規制された.平和を作る知恵もまた私たちは江戸時代から学ぶことができる.

 文化というより文明的なものでいうと,版画などの印刷技術は,マスコミとしての瓦版を発展させ,多色刷りの浮世絵や多くの出版物を刊行された.その中には,小説などの他たくさんの農書,カタログ,図鑑,儒教・国学などの専門書が見られた.芭蕉などのようなたくさんの文学者やだけでなく,大蔵永常のように農書の版権で生活するプロの農学者も現れた.また,大阪を中心にした先物取り引き,流通,金貸しなどの貨幣経済が生まれた.石工は,ヨーロッパなどから伝わった石橋や堰(せき)用水路,お城だけでなく,通潤橋のような逆サイホンによる水路としての橋まで考案した.それでも,このような文明的なものは今より劣るように思えるかも知れない.しかし,例えば建築でいえば現代の方が進んでいると思われるが,木造建築としては,江戸時代に完成していた所も多く,現代と技術水準を単純には比較できないものと思う.

 現代では,この社会を継続するには科学文明の学習が必要で,文化の継承に費やす時間は限られている.生産,流通,交通,マスコミなど文明が発達し,余裕から生まれた娯楽社会は一見高い文化を誇っているように私たちを錯覚させる.また,戦後,アメリカの低レベルの使い捨ての文化に日本人は侵され,高度に発達した文化を忘れ去ろうとしている.農業や食事は文化の基礎である.生活に根ざす文化として農業,炭焼き,竹細工,漁業,料理が発達した.これらは,誰でもできる技術,文化のように思えるかも知れないが,一番大衆的な文化であったので,逆に言えば戦後,私たちが失おうとしている最大の文化,生活に根ざした文化である.ファーストフード、外食産業は,日本人の食文化さえ奪おうとしている.日本人の大部分が,農業を忘れ,各地で発達した郷土料理が廃れている.輸入農産物は,日本に窒素・リン酸・カリなどを集積させ,富栄養状態は日本近海に赤潮などの問題を起こし,世界の大地をやせさせようとしている.自給率の低さは将来に禍根を残す.島国の中で営々と続けられて来た閉鎖系の農業システムは、全ての文化の基礎で,一度失えば簡単には元に戻せない.技術も文化である.我が家では羽釜でご飯を炊き,炒子(いりこ)や昆布でダシを取っている.アメリカの文化は,自分では何にもできない日本人,文化を忘れた日本人を増やしている.

 あらゆる分野で近代化を押し進めた明治政府は,1874年,農業修学場(後の駒場農学校)にイギリスから5名の教師を招きヨーロッパ式の野菜や穀物の栽培を教え始めた.しかし,ヨーロッパの技術は日本の農業には,ほとんど役に立たず,1877年には選ばれた老農による農談会を各府県で開くことになる.さらに,農商務省は1891年,江戸時代の農書の活用し,「大日本農史」を刊行した.このように,明治政府は,当時のヨーロッパの農業より大蔵永常,宮崎安貞などが体系化した江戸時代の日本の農業技術の方が優れている部分が多いことに気付く.

 江戸の文化が低レベルであれば伝承しなくてもいい.しかし,江戸の文化は,岡倉天心が,音楽以外どれをとってもヨーロッパより優れていると書いている表現を借りて,音楽以外どれをとっても現代日本より優れている,と言っても過言ではない.従って,これからの子孫のため残す価値がある.これまで,江戸時代には多くのすばらしい文化が発達したことを書いたが,それぞれは一部の熱狂的な趣味家やプロがしたものであって,また,江戸時代を通してでなくブームの中で育ったものも多い.その点,園芸は別格であった.徳川家康から農民まで圧倒的多くの日本人が,江戸時代を通じて熱中したのである.園芸は,私の専門になるし,1冊の本になるくらいなのでここでは省略するが,江戸の文化の中でも別格なのが園芸文化であった.  


 

戻る