好奇心


 数年前,妻が,「私はヘビが嫌いだ」と言った.子供が好奇心が旺盛のまま大きくなったので,これまで敢えて言わなかった本音をそろそろ言ってもいいだろうと思ったそうである.母親の一言の重みを知っていると思った.いろんなことに「なんで?」と質問するエジソンに母は,まじめに対応したという.忙しいから、分からないからと言って子供の質問を無視したり,相手をしない母親が子供の好奇心を失わせる.もともと子供は好奇心の固まりである.

 子供の時のちょっとしたことが子供の性格を決める時がある.子犬は,最初喜んで遊んでいたおもちゃでもその内興味を示さなくなる.そんな時,興味を示す他のおもちゃを次々に与える育て方をした犬はものに執着心が少ないおっとりした犬になる.逆にボールなどで上手に執着心を育ててあげることもできる.もちろん,犬種によって犬の性格が大きく異なることから犬の性格には,遺伝の影響も大きいことにも気が付いている.人間の子供と一緒にはできないが,おもちゃも良いものを選んで,同じものでいつまでも遊ばせない.様子を見て飽きる前に取り上げる.執着心は集中力に結びつく.美智子皇后の子育てで,飽きっぽい性格にしないためおもちゃを与えすぎないようにしたということを聞いたことがある.

 退屈も覚えさせる.相手をしてもらえず退屈に思っている時おもちゃを与えるといつも遊んでもらっている子供よりその子供は喜ぶはずである.従っていつも一緒にいて相手をしてあげるより少し離れることも必要である.昔の母親は,忙しかったので家事をするときでも、野良仕事をするときでも背中にオンブして仕事をしていた.本当にあやす必要がある時だけ相手をしていた.今のように可愛いからと言って一日中,可愛がりすぎると好奇心がなくなる.遊びに飢えさせることも必要である.遊びに飢えている子供は相手をしてもらったときより一生懸命遊ぶはずである.さらに,人間の子供は少し大きくなると,いわゆるおもちゃでなくても一人で遊びを見つけることもでき,それが創造する喜びにもなる.しかし,今の子供たちは,テレビやコンピュータゲームのようなすごい娯楽設備で一日中刺激を受け,遊びに飢えることがなく,外での遊びはもはや面白くなくなっていると思う.

 もちろん子供を無視しろと言っている訳ではない.親が一緒になっての遊びが重要なのは言うまでもない.その中でも,褒めることは重要である.「絵が上手ね」、「音楽が好きだね」,「本を読むのが好きだね」,「足が速いね」,「成績が伸びたね」,「良くできたね」などの言葉が,幼い子供の好奇心を高め,人生を左右する.多いに褒めてあげるといいと思う.ただ,学校の成績だけにつながるような褒め方は,子供が他のことに興味を示さなくなる時があり,子供の進路の方向性を狭くしてしまう.さらに言えば,子供より先に気が付いたこと等一緒に感動したり,なぜだろうねなどと問題提起を親の方からしてあげ、積極的に子供の好奇心を育ててあげることも必要である.親の一言は,子供の好奇心を奪うだけではなく,育てる効果もある.

 このように,育て方も性格に影響するように思える.もともと子供は好奇心の固まりである.特に動くものには興味を示す.従って,おもちゃの中には動くものも多いが,おもちゃでなくてもトンボやカブトムシなど昆虫に特に興味を示す.最近は都会生活で,身の回りに自然が少なくなって来ており,逆に,ゴキブリやアリのように衛生面から触らせたくないものが増えている.そんな動く生き物にも子供は興味を示し,捕まえようとしたり,口でなめたり,くわえたりすることがある.そんなとき,母親は「汚い」,「触っちゃダメよ」と子供を「教育」してはいないだろうか? これは,衛生面から基本的に正しいのであるが,子供はゴキブリだけを区別せず,その他の動くものにも好奇心をなくしていることに気が付くべきで,何も言わず黙って殺せばいいだけである.娘が小さかった頃,幼稚園の芋掘り遠足でミミズがいると私の娘を呼んだそうである.我が家では,ニワトリがミミズを喜んで食べるので,娘たちは探して捕まえて手から食べさせたりしてミミズが好きであった.一方,他の子供たちは,イモの周りにいるミミズを気持ち悪がっていたので娘を呼んだというのである.ある東京の小学校の野菜市場見学で,ダイコンが地面に置いてあるのを見て「汚い」と言ったという笑い話を聞いたことがある.家庭で下に落ちたものは汚いから食べてはいけないとしつけられており,ダイコンがもともと土の中にあったことを知らなかったためである.汚いものを触った時,手を洗うようにしつけることは大切であるが,土やミミズを汚いものと教育するのはやめてほしい.

 同じように危険なものに対する認識もおかしくなっている.自然のすばらしさだけでなく,自然の危険性,怖さを教えない教育も問題である.例えば,ハチに刺されたことのない若者の多いことには驚く.刺されると痛いことは教えられていたが,私の子供の頃には蜂の巣を取るのは小・中学生の子供の仕事であった.幼虫を食べることより,刺されないようにしながらも「危険なことをやってみたい」という男の子の気持ちからも蜂の巣を取ることは嫌なことではなかった.というより勇気を鍛える遊びでもあった.特に男性の勇気ある行動は美徳とされるが,勇気とは危険に立ち向かう心から来ていて,無謀ではなく鍛えられた判断力に裏打ちされたものでないと本当に危険になる.マムシやスズメバチなど命にかかわる危険性は言葉で教えなければならないが,アシナガバチに刺されるくらいは,ちょうど良い訓練,教育と思う.教えなくても子供は痛い目にあって臆病になり,用心深くなる.痛いという感覚を私たちが持っているのは,そのためで,持っていない人(イギリスにいるそうである)は怪我をしても懲りないようである.臆病で用心深いことは,生きて行くために非常に重要なことで,人は痛みを知らないと死も怖がらなくなるし,従って殺人や自殺も増えるように思う.子供がアシナガバチに1,2カ所くらいであれば刺されても勉強くらいに考え,本人や周りがパニックになって大騒ぎしない方がいい.

 最近,イラクにボランティアで行って拉致された方達を無謀と言って一方的に非難したり,登山で遭難したりする人を準備不足や経験不足と非難する風潮がある.私は,事故に合うのは,何らかの原因があり,決していいとは思っていないが,道路を歩いていても不慮の事故があるし,危険を覚悟していないと海や山には行けない.プールの構造やシュレッダーなど事故があると企業がその対策をとるのは当たり前だが,過剰反応して何もかも規制や禁止にしてしまうのもおかしいと思っている.海やスキー等も危険が一杯だし,遊びは、どちらかというとスリルがないと面白くないと思っている.また,仕事で海に出る漁師さん,山で仕事をされる方,消防士,警察官などは危険と隣り合わせだからといって無くす訳には行かない重要な仕事であることに気が付いてほしい.

 先日,ツバキの剪定を学生と行った.怪我をしないよう,軍手を全員に買ってあげるくらい気を使っている.さらに,始める前には,剪定作業の危険性を教えた.1)ツバキが40本もあれば,「必ず」蜂の巣がある(あるかも知れないではない),2)チャドクガがいる,3)マムシなどヘビがいるかも知れない,4)のこぎりや剪定ばさみの使い方を知らないと作業が遅く,道具を壊し,怪我をしやすい,などである.蜂が一匹でもいたら大きな声でみんなに教え,観察して巣のある所を探し,また,剪定をする前にその木に蜂の巣がないことを確認すること,と言っていたら「ちゃんと」巣を見つけて誰も刺されなかった.いるかも知れないが,いないかもしれない,などと思って作業をしていたら一人くらい刺されたかも知れない.マムシは,いたら殺すこと,先に気が付いたら人間の方が強いことをまず教えた.必要以上に怖がることも危険だし,他の学生が咬まれると危険だからである.しかし,殺し方だけでなく,ヘビの恐さも教え,初めての人間が毒蛇に向かって行くことは,あまりに危険なので私を呼ぶように指導した.幸い,ヘビは出て来なかった.チャドクガには私以外の学生はやられ,3日ほどかゆい思いをした.私が大丈夫だったのは,私は,どこにいるか気が付くからである.チャドクガなどは,いることを教えても経験しないとダメだということを改めて確認した.

<Sep. 18, 2006>

小さな子供のいる隣の方からの連絡でスズメバチの巣がモクレンの木(ニワトリが泊まっている木)にあるので大至急とって欲しいとのこと,恐がりながらも仕方なく駆除した.

 このように,好奇心を奪ったために,戦後生まれの世代には,危険を判断する能力が,危機意識が,育っていない.怖い目に遭わないまま大人になった時の判断力も心配される.西表に東海大学沖縄地域研究センターがある.毎年延べ何千人もの利用者があるのに今だに死亡事故は起こっていない.これは,担当の河野さんの指導力、判断力に負うところが大きい.ベテランの研究者,先生も来るが,多くは,学生である.海や山に一人で出て,一日帰って来ない調査も多い.河野さんは,このような利用者に何が危険なのかを教えたり,指導したりするだけでなく,一人一人の能力を判断して許可を与える.能力とは,泳ぐ能力とか知識だけではない.もっと重要なのは,危険を回避する判断力を持っているかどうかの判断で,一律ではない.どんな学生にも平等な教育,平等な扱いをしていたら死亡事故が多発してもおかしくない研究を日常的に行っている.相手が先生だからと言うだけでは信用しない.そう言う点では学生も教員も平等である.能力を判断するには,1週間から1ヶ月もかかり,学生によっては一度も調査に行けなく,実験もできないで帰ってくる.現代では親も社会も学校も危険なことをさせないか,書類で危機管理をするだけで,危険を回避するための教育を行っていない.せいぜい危険性の知識を教えてたり,してはいけないことを教えたりはしても,少々の痛い目にあった実際の体験がなさ過ぎるように思う.男の子にはアシナガバチの巣を取るくらいの教育を義務づけたらいい.知恵も生まれるはずである.

 好奇心は学校の成績をあげるために役立つばかりではない.好奇心の対象は,動植物,海,山,天体など自然、生命の不思議,生活の知恵,知識欲,数学,ゲーム,音楽,社会,政治,異国,人間関係,文学,詩歌,絵画,宗教,性,車,コンピュータ,環境,食べ物,文化,経済,歴史,スポーツ,映画など幅が広がって行くからである.好奇心が旺盛であれば色んな仕事をしてみたくなるし,定年後も,囲碁,その他に対する好奇心が旺盛であれば,少々の面倒さや疲れを吹き飛ばし,人生を楽しくする.

<Oct. 19, 2006>

学生が自分たちで取って来たオオスズメバチの巣を誇らしげに持っている.

P.S. ハチの話を書いてすぐ,私の研究室の学生の間でオオスズメバチの巣を取ることが「流行っている」(笑い)ということを聞いた.遊びはスリルがないと面白くないと思っているが,オオスズメバチとなるとスリルどころではない.蜂蜜や酢やお酒で作ったもので,オオスズメバチをおびき寄せて捕まえ,好物のコオロギを食べさせている間に素手でこよりをつけて放し,双眼鏡で追って巣の位置を見つけ,完全防備して掘るという.ベテランの農家の方が,学生が喜ぶので巣を見つけては声をかけてくれるようである.飲み屋に行くと3匹串刺しで1000円もするそうだが,取ったものは,つまみにして一緒に飲み,生きたハチは手で捕まえて焼酎に漬けるそうである.こんなことを書くと農学部の教員や学生は特別に思い,読んでいる方は引いてしまうかもしれないが,その二人の学生以外は普通である.キイロスズメバチの巣を襲うオオスズメバチの大きさを知っている私には,正直に言って怖くて出来そうもない [^^;] .怪我をしないようにして生きて行くためには,臆病なことが一番であるが,いざという時この経験が役に立つかも知れない.

 


 

戻る