ミーム


 ストレスに弱い若者が増えてきた.鬱(うつ)病で苦しんでいる学生にどう対応していいのか未だに結論が出ていない.ガンバレは禁句で気分転換に遊ぼうというのもストレスになるというのだから教育とは相容れない.そのような若者は,本当にいい子たちである.鬱でなかったら明るく元気で努力家の子が多いように思う.なぜ,こんなにいい子たちが苦しまなくてはならないのかと今年は特に悩んだ.恐らく中高生の不登校の子供たちの中にもこの鬱病の子が多いのではないかと思う.学校の先生や親御さんも多いので生物学の立場から考えたことを書き,ご意見を伺いたいと思う.

 ある大学(非常勤講師)で生物学を教えており,そこでは,最後の授業に生物学から見た哲学の話をしている.生物学的に言えば,私たち生物は,人も含めて利己的遺伝子の乗り物である.このことの説明には1冊の本が必要であるが,簡単に説明する.高等生物が獲得したものの中にミームと呼ばれるものがある.ドーキンスが作り出した言葉で「模倣する」という元々の意味から派生して,広い意味で遺伝子の上に乗っているのであるが,形態として表れてくるものではない.文化などを司る遺伝子と言っていいのかも知れない.私も含め,生物学者の一部は,動物行動学も,人間の社会学も,心理学もこのミームの理解で説明が付くように思っている.もっとわかりやすく言えば,親ばかも,恋愛も,要領のよい生き方も,頑固な生き方も,また,神さえもこのミームの上に乗っていると考えると説明が付く.少なくとも私は10数年前,このことを知ったときそう感じ,ショックを受けた.世の中の真理を知ってしまうと人生が面白くなくなると思い,この本は人に勧められないと思ったものである.

 そのミームの理解から子供の行動,心理,病気を考えてみた.大人の社会とはちょっと違うが子供には子供の社会が必要で,ここでの遊びからヒトを含めた高等生物は色んなことを学ぶ.私たちの子供の頃にはこの子ども社会が充実していた.以前の子供社会は年齢の異なる子供で構成されていた.大人は,子供を叱るのでも手加減をするが,小さな子供は手加減をしないし,年齢差は子供社会の中で順位を付けるのに大きな役割を果たした.我が家にはニワトリがいるが,順位があるから喧嘩をしないし,従って怪我をしない.下の順位のものが上に上がろうとすると徹底的に押さえられ,その学習が,本当は体が大きくなって強くても滅多に順位が変わらないようにさせる.手加減をしない大きな子供はある意味,親より怖い.まず,この学習から子供は育った.強い相手に従うことは,刃向かうより慣れると心地よい.順位が低く自分の思うとおりにならないことはある意味ストレスになりそうだが,特に強いしっかりしたリーダーの下では安心感があることを学習する.順位がつくのに努力・確執の必要とする同じ年齢の同級生ではダメである.

 ただし,数年経つと年上の子は子供社会から巣立ち,小さな子供が入ってくる.自動的に順位が上がり,最後はリーダーとなって子供社会から引退する.リーダーになると何でも自分の思うとおりできて気持ちがいいが,他のグループとの諍(いさか)いなどでは先頭に立たないといけないし,責任感も必要で従う方がよかった,安心感が得られたと思う子供もいたかも知れない.この自分の役割,向き不向き,落ち着く順位がその後の人生に強い影響を与えるかも知れない.(生物学的に言えば強いリーダーに従うことの安心感がミームに宿り,神を作った!)

 この子供社会がなくなって,小さい子には優しくしなさいと教えられたお兄ちゃん,お姉ちゃんでは,思うとおりにならないことが,従うことが,心地よいと思わせるには十分ではない.自分の思うとおりに行動したがる子供,思うとおりにならないとストレスを感じる子供が増えてきているように思う.そんな子供が大きくなってくる.怖い親も少なくなったが,怖い親でも愛情の強い親ではこのような教育・訓練はできない.まして溺愛している親ではダメである.私が子供の頃には子供の数も多く,もっと以前はさらに多かった.しかし,生物学的に言えば種が安定しているとき,2人の親からは平均で2人の子供しか育たない.10人生まれても8人が死ぬ勘定である.確かに私の同級生や親戚の子供も小学校の頃,溺れたり,怪我をしたり,病気になったりして今より多く亡くなっていた.子供の数が少なくなると親は当然子供を大切に育てる.時として過保護になりがちである.もちろん,昔の親も子供を大切にしていたし,亡くなる可能性が高かったとしてもどの子にも愛情を注いでいたが,当時でも子供の数の少ない家庭ほど過保護だったように思っていた.従って子供の多かった昔の子供たちは独立心が早くから芽生えざるを得なかった.

 子供を誉めることはいいことではある.しかし,誉められてばかりいた子供も,大きくなるに連れ,壁にぶつかる.どんな子供も劣等感の全くない子はいないはずである.喧嘩で負けた,走るのが得意でない,自転車に乗れない,歌が下手,成績が悪い(一番の子は一人しかいない),身体に障害がある,リーダーシップを取ろうとするが嫌われたなど友達づきあいに失敗した,いじめにあった,受験に失敗した,などなどきりがない.自分の思うとおりに行動したがる子供も壁にぶつかるはずで,思うとおりにならない子供の中には,子供の時大きいお兄ちゃんと遊ぶことによってできる免疫ができていないことによってそれをストレスに感じる子供も多いのではないでしょうか?自分の思うとおりにならないのはイヤだ,そんな社会に出たくない,と思っても大きくなるにつれ,楽しいだけの人生などないことに気がつく.思ったようにならないとストレスを感じる若者が増えているのは,親にかわいがられ,誉められ続けたそんな子供が大きくなった姿かも知れない.ストレスに弱い学生はそうやって増え続ける.

 一方で,最近の若者は安心感を与えてくれる強いリーダーを欲しがっている気がする.そんな若者は,ヒットラーのようなカリスマ性のあるものが出てきたら従っていく危険性も持っているのかも知れない.子供にとって大事なのは,必死に(真面目に)遊ぶこと,遊びの中で学ぶことだと思う.


 

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