肥後ギク

ー精神修養の道具としての園芸ー

(English version is HERE .)



後菊,中菊,前菊: 大輪,中輪,小輪 
紅,白,黄の色彩:天,地,人の三位一体
平弁,管弁:陰(芯の添花の右高),陽(左高)に配列
花配り:仁,義,礼,智,信の五常の精神

肥後ギク花壇



肥後菊花壇の歴史

 肥後菊花壇作りは,宝暦年間(1751〜64)肥後の名藩主といわれた,細川重賢が藩政施行に当り文化政策の一つとして始めたと伝えられている.
 その後文政二年(1819),肥後菊中興の祖とされている,肥後藩士別当職秀島七右衛門(号英露)が栽培法と実際を「養菊指南車」」と名付けて著述してから,肥後菊は独特の養菊法として天下に知られるようになった.従って現在愛好者によって作られている肥後菊花壇は,秀島流に倣ったもので,菊の品種等は後年改良或いは新種の作出が行われているが,花壇作りの作法は,240年前と少しも変わることなく維持され,独特な権威を誇っている.
 花壇の組織は,宇宙大自然渾和の原理に則り,陰,陽二体の姿勢をつくり,紅,白,黄の色彩を並べ,天,地,人の三位一体および平弁,管弁,芯の添花の右高,左高の別に配列し,また仁,義,礼,智,信いわゆる五常の精神を花配りによって表現するものである.
 肥後菊は,ただ花を咲かせて観賞するだけではなく,春夏秋冬一年を通じて,その折々の育成過程と,花壇組織に人間の五常をとらえ,趣味の園芸を兼ねて日常の修養の道とするところに大きな意義と特徴がある.

愛寿会々長 林 裸城 述

 以下,肥後ギクの代表的な品種を紹介します.(構築予定)

特徴 大輪一重咲き,花壇作り,栽培が容易
来歴 

元禄4年(1691)伊奈伝草・菊譜(万葉軒華新)
正徳3年(1713)当世後の花(齋月堂丈竹)
正徳5年(1715)花壇養菊集(志水閑事)
享保21年(1736)扶桑百菊譜(狩野素仙)
宝暦5年(1755)菊経(松平頼寛)
文政2年(1819年)養菊指南車(秀島七右衛門)
弘化3年(1846)菊花壇養種(寛井菊叟)