ヒノキバヤドリギ

(園芸四方山話第10話)


 外国の珍しい植物に興味が持たれますが、国内にも面白い植物が多く存在します。私が初めてヒノキバヤドリギ(檜葉宿り木、Korthalsella japonica)を見たのは50年ほど前の学生時代で、福岡県の背振山の中腹でモチノキ科のソヨゴに着いていました。今でも覚えているほど印象深い初対面でした。その後、ヤドリギの仲間は目立ちますのでいろんな所で見てきました.ただし、ヒノキバヤドリギが江戸時代にツバキの奇品(檜椿、ひのきつばき)になっていたことを知ったのは伝統園芸研究会で浜崎先生からの情報でした。名前の由来は葉が鱗片状に退化していて,茎が扁平となりヒノキに似ることによります。また、ヒノキバヤドリギは光合成を行う半寄生植物でツバキやサザンカの他、モチノキ科の植物などにも着きます。2014年10月と2020年5月に伝統園芸研究会で話題になりましたので歴史的に古い順に纏めてみました。

 江戸東京博物館の田中実穂学芸員はヤドリギ(古名、ほよ、ほや)の記載について調べられました。『萬葉集』(奈良時代末期)の大伴家持の歌に

あしひきの山の木末(こぬれ)の寄生(ほと)取りて

  挿頭(かざ)しつらくは千年(ちとせ)寿くとそ (巻18-4136)

 冬でも青々と茂るヤドリギに魅力を感じ、挿頭としたとあります。

 今年(2020年)亡くなられた故岸川慎一郎先生も2014年に「ひのき椿の絵が『古今要覧稿』(1821~42年)椿図1にありましたので、ご紹介致します。」ということで画像を送っていただきました。

 

飛乃木津者き(ひの木つばき)

 次に、奇品研究家の浜崎大先生によると檜椿(ひのきつばき、ヒノキバヤドリギ)と「柘植松」(つげまつ、マツグミ)のことが『草木錦葉集』(1829年)巻之五に記述されているとのことでした。「檜椿」そのものは図示されていませんが、「柘植松」というおもしろい奇品が図示されています。「柘植松」という和名の植物は、現在は存在しておりません。図から判断すると、ツゲに似た丸みをおびた小葉をつけるマツグミの葉変わりの奇品と考えるしかないように思います。当時の奇品家は、半寄生植物であるヤドリギの中でも、とくに、葉変わりの「柘植松」を見出して「人作」(人為的な増殖・栽培すること)をおこなっていたということは驚くべきことだと思います。

 

「此品は、松の枝につげのごとくなる品 宿生(やどりぎ)に出来 檜つばきの類也 此品駿河より出る 古(いにしえ)は自然(じねん)に生じたるよし 今は何木(なんのき)へも人作(じんさく)にて出来る」(「柘植松」は、柘植(つげ)に似た丸みのある小葉をつけ松の枝に生じ、「檜椿」のなかまの半寄生植物であり、駿河から江戸へもたらされたものであるとのこと。昔は、自然に生えたといわれるが、今日(文政のころ)では、どんな樹木へも着けて栽培できる)

 細木高志先生によると『遊歴雑記』(十方庵敬順著(文政11)年序、初編の上10コマ目)に、増上寺の台徳院廟に「檜椿」が書かれています。

三縁山増上寺本堂の後なる黒本尊に隣りて、左の方に出張し御構は、台徳廟の 御霊屋たり、此御魂屋の外、駒よせの内左右ににらみ合て、檜椿(ひのきつばき)と いえる名樹の両木繁茂せり、差渡し凡四五尺づゝ、樹の高さ六尺には過べからず、 おのおの丸く苅込たるものなり、此樹一帯は椿でありながら、丸葉の下、又は 小枝の股より、檜の樹の小枝一もとづゝ生ぜり、依てひのき椿と号す、是は、 むかし、台徳君の御愛樹なりしまゝ、御遺命によりて、爰に植させ給ふとかや、稀に此樹の小枝を得て接木(つぎき)とし、或は刺木(さしき)にすれども、遠からず して枯失、終に接しためしを聞ず、依て適(たまたま)に件の実を得て土に蒔ば生ず るとはいへども、檜の樹の小枝は生ぜずして頓(やが)て常の椿に戻れり、希異と いふべし。案ずるに、是尊霊の悋(をし)ませ給へるにや、又は、草木こゝろなしとはいへども、 偏に台廟の御尊徳を畏りて、元樹のごとくに生ぜざるものと見えたり、天下の霊樹 といはん歟、若、此樹の接木にて栄え、又実生にて成木に及びなば、植木をひさぐの徒は千金 を得べきに最(いと)残多し、但し、此名木の外に生ぜず、種類のなきを以て、いよい よ尊霊のいますがき如御威徳を仰ぎ奉るのみ、予、先年故ありて彼樹の小枝一もとを得しまゝ、大切に筥(はこ)に蔵して家宝と なせり、依て今その小枝の様子を生写しにして、左に図して知らしむ、

 さらに、田中実穂学芸員によると

明治30年(1897)刊『新撰東京名所図会第七篇 公園之部 芝公園(中)』のうち、 現地を見学した記者による「二代将軍の廟墓」に「又海石榴(つばき)にして所々檜葉を生せしものあり。 之をヒノキツバキといふ。絶奇なり。他に之あるを見ず。蓋し公の遺愛樹なり。」との記述が見られます。

また、昭和4年(1929)刊『東京市史稿遊園篇第三』に、「芝公園台德院霊屋拝殿ノ傍ニ現存ス」(添付)。

 

東京市史稿遊園篇第三

 また、五島のカメリア第46号(2014年4月27日発行、1~12ページ)にヒノキバヤドリギのことも書いてありました.私も五島で見たことを思い出しました.江戸時代、奇品として霊樹の檜椿(ヒノキバヤドリギ)が椿油を産業とする五島で防除されているとは知りませんでした.このようにヒノキバヤドリギは各地にありますが、普通のヤドリギほど目立ちませんので見ようと思えば五島や大分農業文化公園のツバキ園のように間違いなくある場所を聞いて確認して行くと良いと思います。

 私も思い出したことを少しだけ追加します.ヤドリギはヨーロッパや中国ではありふれた植物でした.しかし,何と言ってもオセアニアに自生する種が多いようです.1979年に2ヶ月間オーストラリアの近くのパプアニューギニアで植物の調査をした時にも数種を見てきました。ただし、パプアニューギニアで見た、最初ヤドリギの仲間と思っていたアリ植物 Ant plant の代表であるMyrmecodia 属の種は(半寄生ではなく)着生植物でヤドリギではありませんでした。聖護院カブのように肥大し、サボテンのように突起のある茎を切ってみると蟻の巣のような構造で実際に蟻がいっぱい入っていたことを思い出しています。

 1953年(1964年に再提唱)の新エングラー体系までのヤドリギ科の植物は、1980年代のクロンキスト分類体系や1993年以降のAPG体系でビャクダン科とオオバヤドリギ科に分けられています。日本にはヒノキバヤドリギ以外にビャクダン科のセイヨウヤドリギ (mistletoe)の亜種であるヤドリギ Viscum album subsp. coloratum とオオバヤドリギ科のオオバヤドリギ Scurrula yadoriki、ホザキヤドリギ Hypher tankas、マツグミ Taxillus kaempferi などがあります。ヤドリギは遠くからでもよく分かるので、ヨーロッパではイギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリアなどで見てきました。セイヨウヤドリギだけでなくオーストラリアから帰化したものも多いと聞きましたが遠くからで区別は付きませんでした。日本よりはるかに多く、大きな問題になっています。

 また、私が大学院生の頃、ヤドリギは染色体の減数分裂時に多価染色体(普通は2価染色体を形成するのですが8?価などのリング状になる)を形成するということでオーストラリアで研究されていました。後にミトコンドリアの複合体が欠如するということでも話題になりました。この他、ヤドリギの仲間には鳥による繁殖方法など面白いことがたくさんあります。粘着性の種子が鳥に食べられたりするのを見てみたいものです。


 

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