知られていない花粉症とスギの話

(園芸四方山話第6話)


 今年もスギ花粉症の季節が始まった.スギの木を目の前にして仕事をしているので,今年は,特に花粉が多いのがよく分かっていたが,2月上旬からクシャミが出始めた.スギ花粉症で苦しんでいる人も多いと思うし,私しか知らないことが多いと思う.また,花粉症は,話題にならなかっただけで昔からあったのではないかと思っている人がいるかも知れない.私の場合,子供の頃から太陽など明るいものや温度の変化でクシャミをしやすい体質であったが,これとアレルギー性鼻炎は明らかに別物であった.

 今朝のラジオで花粉症は昔からあったのか,という話題になっていた.耳鼻咽喉科の先生でも知らない人が多そうなので書いてみたい.私が花粉症になったのは1977年であった.最初風邪と思い,内科に行ったが,耳鼻咽喉科を薦められた.しかし,当時の田舎(延岡市)の耳鼻咽喉科ではまだ花粉症,アレルギー性鼻炎と言う言葉が普及しておらず,分からないと言うことであった.翌年頃から話題になり,花粉症やアレルギー性鼻炎と言う言葉がだんだんと一般の人の間でも通じるようになって来た.実は,この花粉症が日本で広がり始めたのは1977年頃で,それまで一般の日本人には見られない病気だった.

 「一般の日本人」と書いたのは,日本における花粉症は,1963年,日光市の男性が最初の記録とされており,それまでは知られていなかったからである.私の知り合いの先生が,1965年頃アメリカに留学して帰国後,クシャミの止まらない変な症状に悩まされたそうである.そんな時,ある新聞に「アメリカ帰りの人に奇病が流行る」と報道され,症状を読むとぴったりだったと言う.その先生の場合,スギのない北海道に住んでいてイネ科のスズメノカタビラの花粉が原因であったとのことであった.また,進駐軍の医者の中に日本人に「Hay fever(枯草熱)」がないことに気が付いた方がいて同じ遺伝子を持っているのにカリフォルニアやハワイに住んでいる日系人にはその病気にかかる人が多いことと比較研究をしようとしたことからも1965年頃以前の日本に花粉症がなかったことは間違いなく,先進国に住んだことのない「一般の日本人」に花粉症が見られるようになったのは1977年頃であった.因みに,タイ人からはタイ王国には花粉症にかかる人はいないと比較的最近聞いたことからも花粉症は,先進国に特有の病気である.

 その花粉症が,国民病となって,野生の日本猿まで苦しんでいる.私の場合,ひどかった頃には,夜に街灯を見たり,月を見たりしてもクシャミが出るほどであった.それでは,なぜ先進国でだけ,あるいはそれまでなっていなかった人が,アレルギー体質になるのかというとよく分かっていない.先進国と開発途上国の違い、先進国になってから,あるいは近年,変わったことと言えば,農薬や化学合成物質を使った食べ物が増えたこと,車による排気ガスが増えたこと,衛生的できれいになったこと,寄生虫がいなくなったこと,便利になり肉体労働が減ったこと,IgE抗体が減ったことなどで,これらの中にその原因が隠されているのかも知れないと研究がなされている.アレルギーの場合,体質が変化したことが原因で,その結果としてスギ花粉症になったり,ハウスダストによる鼻炎になったりするようである.

 クシャミをする、咳をすることも入ってほしくない異物を排斥するための人間の体の仕組みであるし,辛いものなど刺激性のあるもの,腐ったものを美味しくないと言うことで食べないことも体を守る仕組みで,これらは正常なものである.また,アレルギー反応は,抗原抗体反応と誤同されやすいが,似て非なるものである.動物が持っている異物のタンパク質と沈殿を作る抗原抗体反応も病原菌に対する正常な防御反応である.しかし,アレルギーは,異物のアレルゲンに対する反応で,元々は、動物の持つ防御反応から生じたものかも知れないが,「過剰」反応である.鼻の粘膜で反応すれば鼻炎,気管支まで反応せずそこで反応すれば喘息,食べ物などで吸収された後の反応であれば蕁麻疹やアトピーと言われる.従って,抗原抗体反応を利用して弱毒抗原を接種し、抗体を作らせて病気を防ぐ予防接種をアレルゲンに対して行うのは論理的でないし,さらに過敏感になる可能性の方が慣れるということより強い.私もその減感療法,抗ヒスタミン剤,漢方薬などいろいろと試して来たが,効果がなかった.一度、アレルギー体質になると体質改善を試みても元には戻らないような気がしている.

 花粉症で,クシャミと鼻水など鼻炎以上に苦しいのが,目の結膜炎である.目をかき始めたら止めることができないくらい痒く,炎症をおこし,最後には目を開けることもできないくらいになる.かゆみ止めと抗生物質入りの目薬が手に入るようになってからは,対処療法で根本的な治療ではないが楽になった.目と鼻は繋がっているので目薬を差して鼻をかむと目薬が鼻の内側から浸透し,鼻炎も治まる.一度アレルギー体質になると体質改善を試みても元には戻らないのであれば,対処療法で長く付き合うしかないと諦めている.

 スギとヒノキの花粉症になってからはそれらの木を切り倒したいと思うこともしばしばであるが,学生の頃,他学科でありながら可愛がってもらった九大の宮島,須崎両先生,同僚としてお互いに全幅の信頼で一緒に戦った戸田先生の御三方は,いずれもその時代,時代のスギ研究の世界的権威であった.お陰で,私もスギには興味を持っていろんな所を歩いて来た.偶然ではあるが,故須崎,故戸田両先生とは,宮崎県延岡市生まれ,育ちで同郷であった.私が,三倍体のスギの存在を教えてもらったのは宮島先生であったし,スギの染色体の研究で学位を取られた戸田先生もスギの花粉症になってからは,花粉の出ない三倍体のスギの普及を盛んに勧められていた.

 ところで,私は,屋久島を9回訪れた.江戸時代に植えられ、それでも巨木になっているスギを屋久杉とは呼ばせず,小杉と呼ぶ島である.その中でも大きな木には名前が付いていて,アメリカの植物学者を記念して名付けられたウィルソン株は,古くから有名で,天正14(1586)年に豊臣秀吉の命令で切られたことになっている.切り株の内側に水が湧き,祠がある.次に,縄文杉を最初に見たのは38年も前のことになる.隆々として枝を茂らせ,木肌も輝いて威圧感を覚えたものである.その縄文杉が最後に見た時には登山客などが株元の土を踏み固めたり,樹皮を取られたりしたためということで惨めな姿になっていた.新聞などで正式に発表される前にモッチョム岳で私が感動したスギの古木にも,後になって発見されたことになり,名前が付けられた.このように屋久島に有史以前からの野生のスギがあったことは間違いない.

 本州,四国,屋久島に囲まれているのに九州本土に野生のスギは見つからない.こう書くと,九州でも本州に負けないくらいの古木を見たことがあると反論される方がいるのかも知れない.宮崎県椎葉村にある八村杉,福岡市を囲む三郡山系にある若杉,北九州市に近い修験道者の山,英彦山にある鬼杉など800年から千年とも言われるスギの木があり,江戸時代に植林されたスギ林は,宮崎県の飫肥,大分県の日田,熊本県の菊池など九州各地にあり,すでに巨木となっているからである.しかし,神社にあるものは明らかに植えられたものだと思われるし,江戸時代以降のスギの植林にはその記録があるので元々の野生ではない.九州は,北と南の二つの島が,阿蘇・久住の造山活動で繋がったもので,植物相も南が最も古く,本州との共通性があるので,人の手によって植えられていない野生のスギがあるとしたら地層の古い宮崎県か鹿児島県だろうと思っていた.

 私の故郷の宮崎県北にある大崩山は,原生林と渓谷の美しさで山好きの人には有名で,私にとっても最も好きな山である.その一角に鬼の目山がある.登山に不便な所で私も鬼の目山には登ったことがない.その鬼の目山に,20年ほど前,野生のスギがあるということで新聞に載ったので,これは九州で始めて発見された野生のスギかも知れないと期待が持たれた.しかし,すぐに見に行かれた戸田先生によると巨木群ではあるが,それほど古いものではなかったということで,恐らくこれも元々は植林されたものであろうと思っている.このように,九州には野生のスギはなかったようである.

 九州のスギと本州のスギでは繁殖法が異なっていることも知られていない.本州では,伊賀の里などスギの種子を精鋭樹から採取して播種する実生(みしょう,種子)繁殖が一般的である.一方,九州では,挿し木繁殖がなされている.言い換えれば優れた木から枝を取ってのクローン繁殖で,生育のいいスギが選抜されている.生育のいい原因の一つが,花や種子がつきにくく、栄養が材に行くことも多いので,三倍体ほどではないが,九州のスギは花粉が少ないとされている.因みに,福岡市を囲む三郡山系の若杉山にある若杉も私は挿し木で増やしたものと考えている.少なくとも九州の山には,スギの自生がないので人間が増やしたことは間違いなく,また,九州では古くからスギは挿し木で増やしていたという記録があるので,神功皇后が御つきになっていた杖を挿したらそれから芽が出て来たという言い伝えが本当なら、また、私の話も若い頃誰かに聞いた話なので,もし神功皇后が関係したという話が後で付け加えられたものであったとしても,この若杉が,現存する最古の挿し木ではないかと思っている.


 

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