鳩山総理がCO2排出量の25%削減を発表して国際的にも話題になり,日本が世界のよい意味でのリーダーシップを取ろうとしている.私はもう一つ鳩山総理に期待したいことがある.それは,世界の軍縮である.核軍縮ではアメリカ合衆国のオバマ大統領と協力して日本も世界で唯一の被爆国として強いリーダーシップを取ってもらいたいが,どうも核保有国の中の交渉が中心になり,日本の陰は薄そうである.核を保有していなくても,戦後の諸外国の事情から日本の自衛隊は増強し,今では軍事費において世界でも有数の軍事国となっている.また,戦後の日本は,憲法9条があり,平和主義国を目指して入るものの,戦前の日本の犯した侵略から日本の回りの国もこの日本の軍事が隠れた脅威となり,これが回りの国の軍事費の増加にも影響している.このように「不」必要悪である軍事は,悪循環している.そこで,この悪循環を断ち切るため日本が率先して軍縮を表明すればよい.ただし,日本だけが軍事費を減らそうというのでは意味がない.主要国の軍事費も同じように削減することを「条件」に,日本が差し当たり軍事費の50%削減を積極的に打ち出してはどうであろうか!世界の軍事産業からの圧力は強いと思うが,日本が軍縮でリーダーシップをとれば世界に尊敬され,国民からも誇れる国になると思う.北朝鮮の脅威を言う人が多いが,北朝鮮は日本の軍備に拘わらず何をするか分からない国である.軍事費を今の倍にしても脅威は変わらないし,自衛するしかない日本の憲法の元では軍事費を半分にしても十分である.自衛隊や軍需産業,アメリカ合衆国に文句を言わせないために国連など公の場で最初に宣言する.その時,主要国の軍事費も同じように削減することを「条件」にすることが,現実主義者であることを匂わせ,利害があって反対する人たちの根拠を封じることになる.軍事費を削減することは,日本のためだけでなく世界のためにもなる.
キリスト教徒の多いアメリカ合衆国には,平和主義者の国民がそれなりに多いのは知っている.しかし,たとえ平和主義の国民や世界に夢を語り,理想主義を唱えるオバマ大統領でもアメリカ合衆国には巨大な軍需産業があるのでリーダーシップはとりにくい分野であろう.よく知られていることであるが,日本の政府が世界でも最も大きな赤字を抱えていることも合わせて訴え,アメリカ合衆国への思いやり予算も少し減らすとよい.軍事費は「不」必要悪で,その削減は,今の日本の国の財政を立て直すには絶対に必要なことだと思う.世界で唯一の被爆国で,憲法9条を持っていながら世界有数の軍事費を出している日本だからこそできることである.
次のステップを考えてみた.憲法9条があるとはいえ自衛隊は今でも世界の平和貢献の名目で国外に出るようになっているし,これからは国連決議があれば外国の戦争に駆り出される危険性が高まっている.それより,自衛隊の国連軍への移行という次のステップを積極的に進めた方が賢い.この時も日本だけがするのではなく主要国を中心に世界の国に参加を呼びかける.元々国連は国連軍を持つことができるし,日本は逆に憲法9条で軍隊を持つことができない.国連軍が守り,万が一攻撃されたら国連加盟国と連合できるので日本を攻撃する国はないと思われる.当初の負担金はさらに半分以下でよいかも知れない.秀吉の行った刀狩りは江戸時代の300年の平和な時代を作った基礎になった.日本にはそういう優れた哲学と歴史がある.また,憲法9条は世界に誇る憲法で,形骸化しつつある憲法9条を守るためにも国連軍への移行は優れているものと考えた.条件はいろいろと付け加えるとよいが,差し当たり以下の方針とする.
1)統帥権は放棄するが,日本の攻撃に対する自衛については国連決議なしで無条件で行う. 2)参加国が増えて圧倒的な国連軍ができれば国連軍の縮小を行う. 3)国連軍の役割に災害救助を加える.さらに,軍隊のない平和な世界での最後のステップは,戦争に代わる人々の興味の対象を文化など平和なものとすることである.ヒトは本来争うことも好きで,戦争の無い世界にするにはそれに代わる何か熱中するものがあるとよい.豊かな生活のための金儲けは手段に過ぎず,満足していない人は,退屈した人は,争いを起こし,再び戦争が起きるかも知れない.江戸時代や戦後の日本のように平和が続いたとき人々が興味を持ち,発達するのは文化である.20年ほど前,私が新聞に書いた以下の文章を再掲する.
平和のための園芸 争いのない社会を作るための施策として,将軍は,社会秩序を重んじる儒教などと同じように園芸も利用したように思う.単に3代将軍がツバキを好きだったというだけでなく,献上された園芸植物を喜んであげると,大名は花の好きな家臣を重宝する.武家が猛々しい心を無くせば戦争は起きない.武士は,武士道で紹介される軍人(武術)としての役割が一般には重要なものと考えられている.しかし,現実的に江戸時代の比較的早い時代から武家は,軍人というより官僚としての役割が大きくなり,読み書きそろばんのできるものが評価された.園芸は,武家を軍人から官僚へ役割を変えさせるのに役に立ったに違いない.
実際,肥後の名花でも知られるように,この園芸文化の担い手の一つは武士階級であった.将軍が大名から名花を献上されて喜べば,大名も薗芸を趣味に持つ家来を大事にしたに違いない.悪法とされる「生類憐令」も,武士からたけだけしい心をなくすための為政者の賢明な策だったと考えることもできるかも知れない.このように,剣術より園芸を勧めたのは,平和な時代の平和を維持する最良の方法だったものと思われる.
平和を維持するために用いられた文化は園芸だけではなかった.中国で火薬が発明され,ヨーロッパに入って武器となったものが,日本に来て花火として発達した.種子島から日本に入って来た鉄砲は,戦国時代,武器として活躍し,多くの鉄砲や大筒が作られた.それを作る堺の一派は,力(金)を持ち,再び治安の悪くなることを恐れた家康は,堺の鉄砲鍛冶を和歌山で子孫を含めて優遇したという.しかし,鉄砲の注文は一件もなく,子供の代には伝えたとしても孫やひ孫の代になると親以上のものを作る技術は残らなかった.幕末,あるいは明治になって一からの出直しであった.火薬や大砲を作る技術は,八尺玉を空高く打ち上げ,色とりどりの花火を作った.世界に誇る花火と言う文化になった.同様に鎖国政策で日本人を外国に行かせないため江戸時代には雨が降っても水がたまらない甲板など造船の技術も規制された.平和を作る知恵もまた私たちは江戸時代から学ぶことができる.
岡倉天心(覚三)は,江戸時代の日本文化のよき理解者であり,西欧文明を痛烈に批判した最初の日本人であった.天心は著書「茶の本」の中で以下のように述べている.
第1章 心の茶 一般の西洋人は茶の湯を見て,東洋のおかしな風習の一つにすぎないと軽くみています.彼らは日本人が平和的な芸術にふけっているときは野蛮国と見なしていましたが,満州戦線で大殺戮を始めると,文明国と呼ぶようになりました.
最近,武士道(兵士が自分を犠牲にしても戦う死の術)については盛んに話題になりますが,茶道は,それがまぎれもなく生の術であるにもかかわらず殆ど注目されません.もしおぞましい戦争の栄光が文明国の資格であるなら,我々は野蛮人のままで結構です.芸術や理想に当然の尊敬が払われるようになるまで待ちましょう.
私は,平和主義者「日本人」の末裔(えい)の一人として,戦争ではなく,平和の中でさらに文化を高め,諸外国との文化交流を深めていくことで平和国家「日本」を守っていきたいと思っている.