やっぱムダ?(八ッ場ダム)


 民主党に政権が移って公共事業の見直しが問題になっており,川辺川ダム問題と八ッ場ダム問題は似たような状況でそのシンボルになっています.似たような状況とは,地元の方達は最初ダム建設に反対していましたが,ダムによって下流の人々に喜ばれることと過疎化して行く村を守らないといけないということで仕方なく賛成に回ったのに中止になって困惑しているということです.また,八ッ場ダムの工事が予算の7割終わっていること,川辺川ダムでは住民の移転がほぼ終わっていることなども似ています.私は,一昨年川辺川のある五木村の方から間接的に,五木村の人の誇りと元気を取り戻すため,地元の赤ダイコンの研究をしてもらえないか,という依頼で,4年生の卒研で赤ダイコン栽培の研究をしたことがあり,五木村には興味を持って見ています.五木村の現実は,新しい立派な家は建っても若い人は地元に残らず,家を新築した人たちも都会に出たりして「立派な空き家」が増えています.五木村は,ダム問題があったりして知名度があるのに熊本市からでも不便なところなので観光客はそれなりにしか来ず,お土産品店や食堂など観光で生計が立つ人は少ないようです.たとえダムができて一時期は観光客が集まってもその後この状態に戻るので,現状の美しく民話に溢れた渓谷の方が長い目で見て観光資源になると思います.五木村は山が険しいので農業も水田や畑は狭く,若い人が生計を立てるための面積がありません.林業も体がきついだけでなく,経営も厳しく,もはや多くの現代の若い人が就く産業ではありません.

 時代が変わればダムの必要性も変わります.人吉や八代など下流域の農家の人たちは,かって安定した水の供給のため賛成していましたが,休耕田が増え,農業の後継者がおらず,これ以上の農業用水の需要もなくなったことから,負担をしたくないということで賛成するのを止め,川辺川ダムの建設目的から農業用水は外れました.次に,洪水などの被害に遭う下流域の住民は,ダム建設に賛成でしたが,そのため川の護岸工事がおろそかになり,これまでも多くの人が球磨川の氾濫により亡くなったり,家を無くしたりしました.これらの人はいつまでかかるか分からないダムより安上がりで早くできる堤防を作ってほしいという立場に変わっています.このように,元々の目的であった治水も,農業用水も,水力発電も,下流の人たちの要求から外れました.ただし,これらの人たちはダムが必要なくなったというだけで,反対運動をしているわけではありません.現在,川辺川ダムで建設に反対している人は,自然保護団体とか税金の無駄遣いに反対している方達で,直接利害に関係する人が少ないことに注目すべきです.自然が壊されるのはダムの水で浸かる五木村だけでなく,川辺川の下流で本流でもある球磨川の水の美しさです.ダムができ水の滞留時間が長くなるとアオミドロなどが増えて濁度が増します.下流の人にとって美しい水は,球磨川下りなど観光資源であるだけでなく,きれいな水と美しい景色はお金で買えない故郷の宝です.水や自然,景色は上流の人たち,そこに住んでいる人たちだけのものではありません.下流の人吉や八代の選挙の投票で反対の意思表示をした市民は,サイレントマジョリティでもあります.また,球磨川で鮎漁などをしている人たちからも反対があります.

 税金を負担する全国の国民にも反対する権利があります.税金は社会のために使う,困っている人のために使うということは当然ですが,合理的に考えてダム建設の必要性がなくなったら止めることを考えるべきです.7割できていてもこれから1千億円以上の税金を使う必要はないと思います.土木のことを英語でCivil Engineeringといい,私はタイ王国で行われ,水問題をテーマにしたアジア農業シンポジュームの中で日本の灌漑農業の話をしたことがあり,その時ヒトが作った社会文明の中でもっとも重要であったことは,道を造り,治水をし,農地を開墾するという土木事業であったことを知りました.また,私の知っている人にも土木業の方がいて経営に苦労しているのは分かるのですが,この先どう考えても昔のように土木業の需要が続くことを期待することはできません.それでも土木関係の方の生活を守るために,差し当たり補助金を付けてでも林業など土木関係者がシフトしやすく,社会的需要のある新しい産業に一部をシフトすることも政治はしないといけないと思います.堤防は,三面ばりの川から人とのつながりのある景色などにも考慮した川の創造へと変化するように予算もつけるべきだし,多くの田舎では,下水処理をしていない水が川に流れ込み,川は下水道の役割をしています.下水処理施設を整備し,魚の住む美しい水の復活など今までの反省からも土木事業にもやるべきことはたくさんあるはずです.

 ダム建設に賛成している人の代表は,土木業の方達や親戚など政治家などとつながりのある方達が多いのではないかと思いますが,個人的に知っている方はいません.私と仲のよい人に川辺川ダム関係の委員をしていた人などもいました.今さら反対もできず,という意識で,自然環境を少しでも守りたいので引き受けたということでした.熊本県が昨年ようやく中止を決めたのはダムの必要性がなくなったと言う立場だけでなく自然の保全など積極的な立場からでもあります.川辺川の地元のお年寄りの人たちの中にも中止になって自然が守れるという,反対していた頃の気持ちに戻っている人もいるようです.

 今のところ八ッ場ダム建設中止に住民の人たちは反対のようで,以前ダム建設に反対したまま亡くなった方達を引き合いに出して,ダムができなかったら反対していた人も浮かばれないだろうと言う住民の方の発言には論理的な矛盾を感じていました.しかし,ととちおさんの意見を聞いていたら,それ以上に,50年以上ダム問題で人生を振り回されたことに対する同情が湧いてきました.それでも合理的に考えると,ダム建設の目的は,ダムは立ち退きを余儀なくされた住民のためにあるのではなく,下流域の住民のためです.立ち退きを余儀なくされ,政治に振り回された住民は,被害者です.その人たちには冷たい言い方になるかも知れませんが,治水などの必要性の判断はこれまでの洪水などのデータなどから,まず専門家が合理的に行うべきことです.次に,専門家が下流域の人々のために必要ないというのであれば,その判断をしっかり説明し,税金の使い方などの問題から住民の選挙で選ばれた政治家が判断します.ダム建設で迷惑をかけられている地元の人たちには建設反対の意志表示はできても,ダムが観光のため,これからの生活のため必要だから作ってほしいというのはおかしいと思います.人生を振り回され,住民の人たちは複雑な思いをしていると思います.不必要なダム建設にこだわり続けたこれまでの政府の責任も含め,国民は,政府は,迷惑をかけたことに対して住民の方達に謝罪しなければならないことはいうまでもありません.ダムができないことになったらお墓の跡地もダムに沈まなくて済むし,自然が保護されるし,完全に元には戻らないけど少しでも田舎が保全されるし,無駄な税金を使わせなくて済むと思います.

 因みに,八ツ場ダム近隣の村落だけでなく,ほとんど全ての田舎が崩壊の危機にあります.ダムができても観光客が継続的に集まることは期待できません.また,日本の田舎で道を作る目的は利用する人のためというより土木業者を通じて地元の人に仕事を与えるためです.発想の貧弱な地方の行政は,土木事業を大きな産業と見て頼っており,それに代わるものはないと信じています.また,夢のある若い首長が誕生した時,地域の振興策で観光開発を計画することがよくありました.しかし,その多くは本当に「夢物語」でした.日本の田舎の崩壊を防ぐには,観光でなく,若い人が食べて行けるような豊かな農業の育成しかありません.夢のない人は,農業で田舎を再生することも夢物語と言うかもしれません.確かに農家に若者が少ないのは現実で,それは儲からないから,不安定だから,仕事がきついから,当初の資金が必要だから,農業の技術や資金がないから,経営能力がないから,などなどたくさんの克服しなければならない問題があり,一つだけ克服してもダメだからです.他の業界の会社の中で分業している株主,経営者,技術開発者,労働者,営業,事務職,などを農家では一人でしないといけないと思っている人も多いと思います.一人でそれら全ての適性を持ち,やりこなせる人がたくさんいるはずがなく,そういうこれまでの農業形態を考えるのであれば農業の将来は暗いと思います.これから農業職に就きたいと言う人は,自営をすることを考えるよりも農業法人に就職するか,将来,農業法人を作ることを目指す方が,いいと思います.もちろん,昔ながらの一家族一農家と言う農業経営ができる人はその方がよいと思いますが,限られます.企業が農業に手を出して成功した例は少ないのですが,アイデアを出し,成功させるモデルをまず作ってみることも必要です.農業は単純ではありませんが,仕事の多くは単純作業です.農家の高齢化などを考えると田植えや除草,防除,稲刈りなどの請負が面白いようです.実際,私の学科には,1,2年生の時には約200万円,昨年(3年生のとき)には6人の友達を雇って1400万円の収入を請負で稼いだ4年生がいます.請負は,大型機械を導入して労働生産性を上げる必要があるので機械の扱いに慣れていてきつい労働に堪えられる土木関係の人に向いているかも知れません.それでもある程度の補助は必要で,観光開発や道路建設,農地の整備事業などに予算をつけることから,農業のできる若い人を育てること(これが一番大変),優れた農業法人を誘致し雇用をしてもらうこと,これからの農家へメリハリの利いた直接補助をすること,請負をしやすくすること,などお金の使い方を変えれば地域活性化,田舎の再生はできます.


 

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