新人類

(本質を見抜く力 第14話)


 学生とのコンパの席でオタクが話題になり,「ここにも何人かいると思うのですが,誰がオタクか分かりますか」と聞かれた.一人は自称オタクだったので私も知っていた.女子一人を含む他の二人は,学生達が「恐らくオタクでしょう.オタクと知られても気にしないと思います」というので,呼んで聞いてみたら「ハイ,そうです」ということで,3人ともコンピュータゲームのオタクであった.3人でグループを作っている訳でもないし,仲が悪い訳でもない.オタク通しでは,お互い誰がオタクか分かっていても特別影響し合うこともない.その後,私にも性格や行動を見て,誰がオタクであるか,おおよそ検討が付くようになるなど,テレビゲームなどに夢中になったことのある若者は,誰からも認知される共通の性格を形成するようである.

 ここ数年,若者の性格が急速に変わろうとしているように思える.明治維新,大正デモクラシー,第二次世界大戦,戦後の価値観の大変化,学生運動(共産主義の影響),その後の政治離れ,等,これまでも大きな時代の変化によって若者の価値観,性格が変わり,明治生まれ,大正生まれ,戦前の生まれ,団塊の世代など変革の時代に青年期を過ごした人たちの価値観がその後の社会を大きく変えて来た.そこで,今回の急激な若者の性格の変化の本質を分析してみた.

 5,6年前であったら学生の就職で,男子学生が好まれ,女性は不利であった.女子は,結婚したら辞める,子供ができたら辞める,旦那さんが転勤したら辞める,などがその理由で,日本は,女性が事務職かパート,受付などに携わることが多く,責任ある仕事に就かせることのない男社会であった.こんな過去の話をすると,全てではないが,最近の企業の人事担当者の多くは,「今の男性新入社員は3ヶ月で辞めてしまう」とまで言い,有能な女性の採用に意欲を見せる.日本女性がすばらしいのは最近始まったのではなく,大和撫子と呼ばれた時代にも,根がしっかりしていて,控えめで,それが特に女性の美徳とされていた.しかし,30年前,学会などで女性の姿を見ることは,ほとんどなかったし,企業でも女性の役割の中に当然のようにお茶汲みが入っていた.一方,最近の女性の社会進出は目覚ましく,そのこと自体はすばらしいこととしても,相対的に男性が見劣りするようになったために結婚する相応の相手の見つからない女性が増えて来た.そんな女性には「頼りになる男性を待っていたらいつまでも結婚できないよ.少しくらい我慢しなさい」と言うことにしている.そんな若い女性達も,昔のように男社会の企業をそれほど批判している訳でも,女性が中心の企業社会を望んでいる訳でも決してなく,対等か,逆に頼りになる男性が増えることを望んでいる.若い男達には,頑張れとエールを送りたくなる.また,社会への女性の進出が量ではなく,質的に変化しているようにも思える.結婚までの仕事ではなく,ライフワークとしての仕事を求めている女性が増えている.夫だけの収入では生活が苦しいので共働きと言う現実もあるが,有能な最近の若い女性の多くにとって,子供が少し大きくなった時,家で家事だけをすることに,もはや耐えられるはずがない.最近の学校社会では,女性が積極的でリーダーシップをとり,多くの男性は消極的で女性に従うのに慣れすぎている.このようにして育った若者の男性にとって,就職した社会が男性社会だからといって社会に出た後,この男女の力関係を逆転するのは,困難になりつつある.その流れは,「戦後強くなったのは女性と靴下」と言われた時代に始まり,パイオニア的な女性が男性社会の中で苦労して地位を高めて行く中で少しずつ女性の評価が上がって来たお陰である.そのような女性の評価が,1975年生まれ,今の30歳位の世代,あるいは,それより若い世代になると,女性が男性と対等以上の社会ができているような気がしている.因みに,生活の場では,若い世代が活躍する仕事場と同様,すでに高齢者の世代まで女性が強くなっていて,デパートでも,レストランでも,旅行でも女性客の方が目につく.

 一人っ子,あるいは二人兄弟が多くなり,親の愛情を注がれた性格の良い若者も増えて来た.一般的にそれらの若者は,良く言えば私たちの時代より品がよく,悪く言えばハングリー精神に欠けていると表現できる.彼らは戦後2世代目で,彼らを育てた親は,高度経済成長期に生まれ,育ち,社会の歯車となった人たちである.仕事をした分だけ収入が増える農業や商業の様な自営業に従事している家族の多かった時代と異なり,生活をするために,お金を稼ぐために,それほどあくせく苦労をしなくても,月末には自動的に給料をもらえる優雅なサラリーマンの親世代である.戦後第2世代には,もはや親の仕事する姿と仕事の全体像が見えず,仕事の意義を感じれなくなった.また,昔と違って多くの家庭では,子供の数が減って親はより大切に育てるようになり,核家族で同居しないお祖父ちゃん,おばあちゃんは,孫に優しく,甘くなる.従って,昔の表現で言えば,「いい家の坊ちゃん,お嬢さん」のように大切に育てられた子供ばかりになっているのかも知れない.私たちの子供時代には,坊ちゃん,お嬢さんという言葉には,育ちがいいという良い意味で彼らが共通に持つ性格を表すのに使われた時と甘ちゃんだとおちょくる意味で共通に持つ性格を表すのに使われた時があった.一部には世界的に活躍している若者もいるが,これだけ日本は恵まれているのに学問,技術,スポーツ,囲碁などの分野で中国などに圧(お)されているのは,このように日本人の若者世代の性格が優しく,甘く変化したことも一因にあげられると思う.

 昔の職場では,お昼休みや仕事後に囲碁や将棋をしている風景が見られた.それが憚(はばか)れるようになっても,休み時間で,かつ他の人から見られないのであれば,代わりにコンピュータを用いたトランプゲームを気分転換にするくらいは上司も多めに見ていたようで,それを後ろから見ていると私には異常に思えた.というのは,このようなコンピュータ一ゲームは,一人ひとりがコンピュータに向かって遊んでいるだけで,人間的なコミュニケーションがなく,職場にとって人間的ないい影響はないと思っていたからである.最近,子供達が集まっても会話をせず,それぞれがコンピュータに向かって遊ぶという不思議な光景と似ているように思えた.子供の時から,コンピュータ「で」遊ぶのではなく,コンピュータ「と」遊ぶ子供が増え,人とのコミュニケーションに慣れていない,しきらない若者が増えているような気がしていたからでもある.さらに,世の中は世知辛くなって,職場でのそのような景色も,イントラネットによる全てのコンピュータの利用の把握,管理,すなわち,情報の漏洩を防ぐため情報の流れの管理,無許可の情報の保存の禁止,コンピュータの利用法の把握,ゲームなどもっての他で必要以外の全てのソフトのインストール制限,などに伴い,職場でのコンピュータに向かっての遊びは無くなりつつある.これで休み時間がようやく正常になるのかと思っていたら多くの場合,仲間?同士の会話は復活せず,静かで面白くもない昼休みと人間関係,仕事のためだけの職場,管理社会が生まれているようである.休み時間に何をしてもいいのであれば囲碁や将棋は,仲間同士のそれなりのコミュニケーションと仲間意識を育むはずである.本題に戻るが,若い時からメールやチャット,掲示板を使ってコミュニケーションを取り,友達との直接の会話が少なかった,このような若者には,これまでの人間の性格にない共通の性格が生まれ,オタクと言われているのかも知れない.

 うつ病,分裂症のような精神的な病気やストレスに弱い人格,過呼吸,もやもや病,クローン病,アトピーなど昔はあまり聞かなかった?病気,若者の体力の低下,なども含め,多かれ少なかれ,(女性が活躍することは歓迎だが)男性の気力が弱くなり,甘やかされて育ち,人との直接のコミュニケーションに慣れていないという広く共通の性格を持つ決していいとは思えない新しい「人類」が生まれている.


 

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