農学教育には,特に幅広い知識が必要となってくる.農学教育そのものが,単なる技術教育でないことに途中から気が付いた.農学は,単に作物を育てる知識,技術だけでなく,英語でAgricultureというように文化そのものでもあったし,作物を育てることによって作物だけではなく子供達を育てることもできることに気が付いた.その農学教育から学んだものが,私の使命の基礎にある.同じように,宮沢賢治の多くの人々を引きつける考え方は農学教育をする中で必然的に生まれたものかも知れない.戦後,その日本の文化の崩壊,特に文化の基礎である農業の崩壊が進んでいる.また,小学校の時に習った宮沢賢治の「雨にも負けず」で始まる詩が私の価値観を決めてしまったのかも知れない.宮沢賢治の書いたものをたくさん読んでいるわけではない.ただ,「雨ニモマケズ」の詩の中に書かれている宮沢賢治が「なりたい」と書いた「生き方」に強く影響されている様な気がする.「雨ニモマケズ」
宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ宮沢賢治が,生前,無名であったことはよく知られているが,周りの人に今ほど尊敬されていたかと言うと,そうでもなかったのではないかと思う.逆に「雨ニモマケズ」の詩にも書いてあるように「デクノボー」と呼ばれていたのかも知れない.生きている間にも尊敬される人物には,カリスマ性,親分肌が必要と思うからである.親分肌には,子分の面倒見がよく,敵対するものには容赦しない怖い面を持つ.表現を変えると,えこひいき,いじめに繋がる性格である.下の立場のものは,親分を怖がるが,絶対服従をすると安心感が得られる.逆に,平等の意識,友達感覚が強く,それに優しい性格が加わると,立場が上であっても,下の立場のものからなめられ,ひいては社会生活がうまく行かない時もある.それでも,私は宮沢賢治が「なりたい」と書いた生き方をしたい.