(本質を見抜く力 第10話)
マスコミでは,賞味期限切れの牛乳を使った事に端を発して不二家をぼろくそに言っている.一見正論のようであるが,マスコミを使った弱いものいじめのようで,腹が立ってしようがない.雪印の時も過剰に反応しすぎていて,また,消費者もそれに便乗していやだった.雪印の時には,商品が出たらすぐに買いに行った.おかしなことはおかしいが,過剰反応もおかしい.マスコミ,消費者は,程度をわきまえるべきだし,雪印や不二屋などは,すばらしい商品とノウハウも持っていてそれまで無くしてしまうのも問題だ.
確かに食品は,命に関わる問題なので厳しくしないといけないのは,私も重々分かっているが,問題を起こした時,行政処分だけであればもっと軽いはずで,後は,関係者,トップを自ら罰する程度でいいはずであるし,それだけでも大変だと思う.行政による処分は別にして,このように,マスコミ,消費者によるバッシングには行き過ぎが多い.以前,異物の混入が話題になった時には,買って来たハクサイに虫がついていたと言う事までテレビで報道されていてあきれた事がある.賞味期限も本来なら自己責任であるべきで,冷凍しているハムなどを家で食べる分には,賞味期限をそれほど気にしていない.逆に賞味期限前でも痛みかけてるかも知れないと思われるものは我が家では捨てる.それを判断する力を表示に頼りすぎた今の日本人は無くしてしまったのかも知れない.数日前,あるホテルが冷凍している賞味期限切れのエビを使った事が,不二家と同じだと言う事で,問題になっていた.お金を取る場合,賞味期限の判断は,個人の自己責任を超えているかも知れないが,問題ないと言う料理人の判断だったと思うと少なくとも悪気,悪質さはそれほどなかったと思う.
それより「あるある大事典」の捏造問題の方が悪質さ,問題の本質の上では,はるかに上なのに,一部の者の処分でお茶を濁そうとしている.あれは,一部の人間の判断ではなく,少なくとも制作スタッフが協議して準備をして作ったもののようだ.さらに言えば,視聴率を評価する事が圧力,遠因になっている事を考えると企業の体質として問題だ.これまで問題を起こした企業に対し,ほとんど倒産の状態にまでたたいて来たテレビ局であれば,「あるある大事典」の捏造問題は,自ら放送を一ヶ月ほど中止するのに値すると思う.そこまでたたくと次は我が身で,他のテレビ局もあまり強く言っていないような気がする.何千人という罪のない雪印や不二家の従業員や家族,関係者に対し,マスコミや社会などがしたことは,放送を一ヶ月中止するくらいの事だと言う自覚があるのだろうか?
因みに,研究分野でも文科省から論文の捏造問題が通達されている.捏造と言っても故意の捏造は問題外で,論文の場合,例えば一回だけの実験結果を発表し,再現性がなかったり,データの計算間違いや読み違いをしたりするような悪質でないものでも,社会に迷惑をかけるので,当然,捏造になる.これも,論文数だけを評価する,競争する影響が強いと言う事を考えると社会の構造的なものである.受けを狙って,言い過ぎたり,失言をするキャスターも社会に対する影響と言う事であれば,悪意はなくても同じだと思う.例えば,先日,‘太郎冠者(別名有楽)’が咲いている事が報道され,それを寒椿の仲間と言っていた.実は,‘太郎冠者’はワビスケの仲間,寒椿とはサザンカの仲間なので,間違った事を日本中に放送していたのである.悪意が無いとは言え,これも,立派な捏造である.日本国民が全部ツバキの品種を知る必要はないのだけど,間違っている事に対しおかしいなと感じる勘を養い,調べるなり,専門家に聞くなりして正し,間違った事を報道するのは止めてほしい.特に,昔だったら常識であった動植物や生活の知恵などについてマスコミに務めている人たちに常識が無くなり,誤報道,捏造が増えていると思う.
テレビを嫌っている訳ではないが,このように雪印,不二屋などに対するマスコミの仕打ちは,やり過ぎである.風評被害を生み出しているマスコミの責任も問いたい.