武勇伝


 2006年8月15日に小泉総理の靖国参拝が行われた.A 級戦犯を含む靖国問題など,時間があればその内に私の考えをまとめてみようと思う.関連しない訳ではないが,37年前,私は,地獄を見たことがある.

 私は,大学1年の頃なぜかクラスの代議員にされていた.私はノンポリ(政治に無関心)ではなかったが,ノンセクト(中核などのセクトに入っていない)の普通の学生であった.学生運動の終わりの頃で,それまで青ヘルや中核が中心であった代議員大会において,穏健な民青(共産党の青年組織)が投票で勝った時,それは起こった.それまで代議員大会が行われていた会議場の外で控えていた青ヘルや中核のヘルメットをかぶった活動家の学生が侵入して来たのである.過激な学生は,棒で殴り,ナイフで斬りつけ,あるいは瓶を割って敵に投げつけたので,たちまち会議場は大混乱となった.親指がぶらぶらしている者,瓶が頭に刺さって血を流している者もいた.女子学生は窓から2階の踊り場に逃げ,飛び降りようとしているし,鼻血なども含め部屋は血の海で足が滑るほどであった.地獄絵であった.

 代議員の私には,それまで数回民青に投票してくれという電話があり,今回は民青が優勢で,民青が勝ったら武力闘争をするという噂はあったようだが,こんな惨劇を想像してはいなかった.私は,隣に座っていた高校時代からの友達と教室の片隅においてあった消火器に気付き,この地獄を終わらせるのに二人でそれをかけようと言うことになった.しかし,その友達は民青よりだったので目を付けられており,途中で捕まり,襟元をつかまれて殴られていた.私は,なぜか運良く人をかき分け消化器にたどり着いた.敵と味方を判断するということは,敵か味方か分からない私にはどちらも手を出さなかったのだろうと今書きながら思った.消化器を持った私は,コックを引っ張って,戦っている両者に思いっきり泡をぶちかけた.

 このことを私はずっと忘れていた.数年前ふと思い出し,本当にあったことだったのか今だに信じられない思いを持った.その争いがどうやって収拾したのか,覚えていないが,私の武勇伝が役に立ったと信じたい.このような訳で,青ヘルや中核のやったことはおかしいと思い,その日の夜だけは民青のメンバーに加わって私もシュプレヒコールをした.

 当時の多くの学生は,私と同様にセクトには入っていなくてもノンポリではなく,どちらかというと左寄りであった.これは,当時ベトナム戦争があり,若者にも受け入れやすい「戦争反対」から始まって,戦争の加害者と思われていたアメリカに対する反発から「安保反対」に繋がり,アメリカに対する反発は,さらにアメリカと敵対する共産主義思想への共感へと若者を導いた.

 しかし,それから数年後,私が大学院生の頃,学部学生の政治に対する無頓着さに気が付いた.岡倉天心が「The Book of Tea」の中で,「もし,戦争に強い国が文明国というのであれば日本は野蛮国と言われても日本の美しい文化を西洋人が評価するまで待ちたい」と言ったことでも分かるように,昭和初期まで,日本人は決して戦争を好む民族ではなかった.反対に武士でも花を愛し,文化を楽しむ人々が多かった.それが,昭和10年頃から荒々しい日本人教育が始まり,戦争に突入する.私の印象では,その頃青春を送った方には明治生まれの方の持つ優しさ,民主的な考え(大正デモクラシーの影響)が薄いような気がしている.昭和の初めまであった日本人の大正デモクラシーによる民主的な思考が昭和10年頃から急激に無くなり,戦争に突入したとこと学生運動が沈静化した後驚くほどのスピードで学生の気質,考え方が変わって行った(ノンポリ化)こととがオーバーラップして怖くなったことがある.

 どんな世の中にも社会悪があり,それを若者の潔癖感で否定しなければ世の中はよくならない.何も分かっていないのに大人びた考えの若者が増えて来た.結婚し,家族を持ってから行動を起こすのは困難だから,本来なら社会をよくするのは若者に期待したい.また,若者が無力感から政治に無関心になれば大正デモクラシーが無くなったように短期間で戦前の風潮に戻らないとも言えないと思っている.私自身は死ぬことをそれほど怖く思ってないが,私の娘や,その娘が愛するであろう孫などが戦争に巻き込まれる世界は怖いと思っている.

 反対に学生運動が盛んな時代に青春を送った世代は,どちらかというと社会悪を許せない正義感を持ち,今だに団塊の世代と言って特殊な世代となっている.このように,団塊の世代は,戦後の子供の多かった時代( The baby boomer generation )という捉え方だけでは不十分である.実は,団塊の世代の特徴は世界共通であることに案外誰も気が付いていない.20年ほど前,アメリカで流行っていたテレビドラマに「Family Tie」というものがあった.英語が十分わからなくて誤解しているかも知れないが,3世代の同居家族のちょっとコミカルな番組だった.どちらかというと社会的人間のお祖父ちゃん夫婦と20才前後の孫と反社会的なSixty generationの夫婦の持つ世代間のドタバタ劇を家庭生活の中で面白おかしく表現したものであった.Sixty generationとは,60歳代の世代という意味でなく,1960年代に青春を送った年代のことで,ベトナム戦争やビートルズに青春時代影響され,社会性がやや乏しい,他のどの世代とも違う性格を持っている世代である.あのアメリカにおいてもベトナム戦争反対を唱えている若者が多かった時代である.もちろん,祖父と孫の世代も考え方などは違うのであるが,なぜか共通性も感じるところが視聴者にも受け,当時働き盛りのSixty generation が浮いているところに面白さがあったように思えた.服装もアメリカでは1960年代後半からネクタイをする人が少なくなり,1980年代には大学でもネクタイをしているのは学長と学部長くらいのもので,私のボスなどは当時20年ほど学会でもネクタイをしたことが無いと言っていた.20年前の日本は今より男性のネクタイ着用率ははるかに高かった時代のことである.言い換えれば,アメリカでSixty generationは,ジーパンの時代でもあったように思っている.

 この世代の持つ感性は,私には日本やアメリカだけでなく世界的に共通な気がしてならない.


 

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