しかる

(本質を見抜く力第12話)


 子供はしかるより褒めた方がいいのは良くわかっている.褒めることによって子供は気分を良くするし,褒められれば懐(なつ)いて来て扱いやすくなる.また,褒められた子供は,そのことにやる気、モチベーションを高める効果もある.一方,しかる,注意する,のは,難しい.特に,怒られたことのない他人の子供を先生など目上の立場でしかると,しょげてやる気をなくしたり,自信喪失になったりすることが多く,また,自己主張の強い子には,反発されたり,嫌われたりする.しかるのは本当に難しい.だからといって褒めてばかりでしからないと子供の悪い所を直せない.反発する子には,自分で考えることは,君のよい所だと褒めた上で,だけど,まだまだ,知恵が足りない,と諭(さと)す.

 実験でビーカーから小さなメスシリンダーに液を移す作業があった.仕草を見るとこぼしそうな人はすぐ分かる.入れる時のそれなりの思い切りの良さと液の後引きへの注意などを見ると実験は初めてであっても料理など普段のそれまでの経験,知恵が見えるからである.中には,こぼさないためには,ピペットとか漏斗を使えばいいのではないかという学生もいる.そんなとき「なるほどね,賢いね」と褒めた後,使わない方が知恵があるということを説明するのが面倒である.ビーカーからメスシリンダーに移すだけであれば,ピペットなど使わなくても確実に入れることができるようになるはずだし,ならなければならないと教える.しかし,他の学生まで,「確実にやった方がよいのではないか」,「そういうやり方も許してあげていいのではないか」,あるいは「先生は頑固だなあ,学生の意見も少しくらい聞いてあげてもいいのではないか」と心の中で思っているような気がした.世の中には,確実なことを選ぶ必要性のものもあるし,慣れで確実になってもらわないといけないこともある.どちらを選ぶかは,ケースバイケースであるが,多くの場合,どちらか一つを選ぶのが、経験から来る知恵である.

 どちらでも良さそうなことも長くやっていると合理的な方法が分かってくる.おばあちゃんの知恵袋という言葉があるが,親の世代に知恵がなくなっていることを表す言葉と思っている.おばあちゃんの世代は教育は受けていなくても色んなことに一番いい方法を知っているのに,戦後世代は,学校で習うことだけを勉強と思い,試験に出ることだけを覚えるように教育された.例えば,日本史で受験する生徒にとって世界史は必要のないことと思わせるような教育をしている.私の研究室では,勉強して役に立たないことはない,損をすることはない,勉強は面白いということを再教育している.また,自己流を過信している子供に注意するためにはまず子供との人間関係を築くことが一番で,褒めてあげて聞く耳を持っている時に「だけどね,・・・」と注意したり,しかった後,何かの機会に別の内容で褒めてあげたりするとよい.

 親や大人の見よう見まねでやっているようであっても,若い時には,また,熟練していない時には,全く同じように真似をすることはできない.教えられる技術が高度であればあるほど,自己流が入る.昔の親方や職人気質の親は教える時,同じようにしないと怒ったものである.漢字の書き順,車の運転を習った時のハンドルやギアの持ち方,など日本全体に自己流を否定する風習があった.今でも危険なことなどについて親などは言う通りにしないと怒ることもあるかも知れないが,昔に比べて自己流に目をつむる傾向がある.それは,日本人が寛大になったためか,大人が自信を無くしたためか,自己流が、たまには新しい文化,伝統を作り出すことにもつながると思っているためであるのかも知れない.しかし,自分で考えたこと(自己流)の多くは,長い間やっていると教えてもらった方法の方が合理的であることに気がついたり,あるいは,自己流ではうまくいかなかったりして,最終的には親や先生の真似をすることになる.子供が親を尊敬するのは,親に逆らっても,実は,親は一人ではなく先祖の知恵がついているので,子供はそれに挑戦しても多くが跳ね返されるからでもあった.日本には,伝統芸能やお茶のしきたり,囲碁の定石などだけではなく,ほとんど全ての人間の行為に対して,どちらでもいいような微妙なことにも合理性を追求しこだわる伝統があった.その伝統が消えかかっている.

 危険なことをするな,と言ってしかるのは,多くの場合,しかられる方も納得できるであろう.しかし,前に述べた,ピペットとか漏斗を使って確実に液を移す方法を思いついて、それを実行し、当然うまくいっているのに,「勝手なこと,自己流はするな」としかられ,注意されると目上の人,経験の豊富な人に対しても反発したくなるのは理解できる.しかし,自己流は多くの場合,囲碁でいう筋違いのようなものである.いわれた通りだけする子を育てたいとは思わないし,子供が自分で考えようとすることは悪いことではなく,逆に褒めてあげたいくらいである.しかし,液を移す時こぼすからと言ってやったこともないのに自己流を主張するのは少し我慢をするように指導している.

 人のすることをよく見ておきなさいと言っても真似ができる学生がいなくなった.頑固親父から普段怒られていないからであろう.また,教えてもらっている時の集中力、我慢強さ,が足りないためであろう.ピペットとか漏斗を使っては「いけない」ことなど一々説明するのは面倒である.このように理屈抜きで注意しないといけないこともある.褒めてばかりで育てられ、自己流でもよしとして育てられた子供の性格を直すのは困難で,議論するのも面倒なことが多い.子供の時から家庭などでしっかり親が怒り,躾(しつけ)をして,そうならないようにしないと,なった後で注意をしても中々直らないが,先生の立場でも褒めるばかりで,しかるべき所をしからないと子供はよくならない.子供が自分で考えたことより,これまでやっていた方法の方が合理的なことが多いと書いたが,例え,子供が考えたことの方が合理的であったとしても理不尽に従来の方法を教える気概も教える側に必要である.


 

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