一重の花の美しさ

(園芸四方山話第1話)


 一重の花をめでるということは,レベルの高い文化であるらしい.

 世界的なツバキの育種家でアメリカ農務省のアッカーマン博士はこれまで五回,来日しているが,最初のころはどう説明しても,一重の花のよさを理解できなかった.その彼が最近,日本とアメリカの花の観賞の違いを述べた後,ようやく一重の花の美しさがわかり始めたという趣旨の紀行文を書いている.

 日本人が,育種した八重咲きのツバキやキクが,十八ッ十九世紀において西欧を風靡(ふうび)したが,日本人が一重の花を好むのは,もちろん,八重の花がなかったから,できないからではない.厚物と呼ばれ,キク花展で見られる大輪のキクを,日本の生け花に使える人は,まずいないであろう.茶室に生けられる一輪挿しのツバキは,佗助(わびすけ)を代表とする一重の花であろう.このように,八重の花は八重の花なりの,一重の花は一重の花なりの美しさがあるのである.

 一般に,一重の花から八重の花を育種することは困難である.八重花は元来,奇形であって,葯(ヤク),萼(ガク),包葉の弁化,花弁の増加などによって生じるのであるが,調和の取れたものには,奇形という印象はない.豪華けんらんな八重咲きの花を見て,美しいと感じるのも人間として,自然なものと思われる.従って,八重の花の優劣の判断は容易で,だれが行っても,より豪華な花,より調和の取れた花の区別は,変わらないであろう.

 一方,一重の花は育成が容易で,野生のものには一重の美しいものが多い.しかし,一重の花の育種,選抜は,八重の花と異なって育種家の感性の違いで大きく異なる.育種家の芸術性,気品の高さが,そのまま花に表されるのである.

 これらの点から,肥後六花を見なおしてみよう.サザンカなど,一部の例外はあるが,肥後六花は一重が原則である.しかも,肥後六花は全体に他の品種群に例を見ないほど大輪の品種を持ち,奇をてらい,オシベを中心とする花心の美しさを強調する.これは,一重の花に美を見いだすことのできる日本人の中にあって,とりわけ熊本県人が優れた感性,優れた文化を有していたことを示すものである.

 世界に誇る一重の花の代表花,肥後六花を育成した熊本県人は,その文化を誇りにし,守っていきたいものである.


 

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