(園芸四方山話第7話)
誰にも知られていないツバキがある.それが,Camellia papuana Kan. et Hat.である.種名からも分かるようにパプア・ニューギニア原産のCamellia 属植物で,タイプ(基準)標本は九州大学農学部の金平コレクションに保管されている.その写真を撮るため20数年ぶりに金平コレクションを訪れた.
金平コレクションとは,当時九州帝国大学農学部教授であった金平亮三先生が植物資源探査のためミクロネシア,パプア・ニューギニア,台湾,インドネシア,フィリッピンを中心に調査を行った時の標本を集めたもので,新種記載にあたって命名の根拠となったタイプ標本が約200種も存在することで国外でも有名である.この時代の生物調査は,国策としてこの地域の植民地化の必要性を明らかにするため行ったもので,時には船に一杯の標本を積んで帰国したということである.私は,学生時代にその金平先生の著された本「ニューギニヤ探検」(養賢堂, 1942)を読んだ時の興奮をいまだに忘れられない.生物の分類と生物の進化に興味を持ち,植物の採集に明け暮れていた私は,わくわくしてこの本を読んだものである.私の学生時代,すでに理学部でも農学部でも植物の分類について研究する先生は少なくなっていたので,私は数少ない金平コレクションの利用者であった.
この本について人に話すこともなかったのに,不思議なもので,鹿児島大学農学部教授の有隅健一先生からパプア・ニューギニアにおけるマレーシア・シャクナゲの調査に協力してもらえないかとのお誘いがあり,1979年,文部省の海外学術調査研究で憧れのパプア・ニューギニアに行くことになる.私は,大学院に進学し,上本俊平先生の指導で「ハルサザンカの成立と起源に関する研究」を行なっており,金平コレクションにSealy (1958) の著した「A Revision of the Genus Camellia 」の中にも記載のないCamellia papuana があることを知っていて非常に強い興味を持っていた.
しかし,まず疑ってかかるべきは,この標本がCamellia 属植物であるかどうかである.日本国内にあって良く見慣れている植物なら花も果実もなくても種の同定をする事はできるが,この標本のラベルに付いている学名の命名者名が金平先生と初島先生で新種であるはずなのに実際の標本には花も果実もないからである.はたしてCamellia 属植物であることの同定は確かなのであろうか?次に,私の知る範囲ではどの文献にもCamellia papuana など載っていなかったからである.さらに,1979年当時最も権威のあった「A Revision of the Genus Camellia 」の中にCamellia 属植物は東アジアを中心に80数種が分布し,Camellia lanceolata の1種だけが排他的にフィリッピン,インドネシアに分布することが示されており,パプア・ニューギニアはCamellia 属植物の分布範囲からも外れていたのである.
そこで,私は,植物採集で一緒に山を歩いたことがあった初島住彦先生に手紙を書いた.初島先生は,世界的な植物分類学の権威者で九州帝国大学時代,台湾,朝鮮を含めた当時の日本国内で莫大な数の植物の採集を行っており,「ニューギニヤ探検」によると金平先生と二人でパプア・ニューギニアを訪れている.初島先生は,1979年当時には九州帝国大学,鹿児島大学から移られた琉球大学の教授も退官なされていた. 生まれは1906年で現在100歳に近いにも拘わらずごく最近まで本の監修などを続けておられるほど記憶力がよく,当時Camellia papuana についてもよく覚えておられて返事をいただいた.
それによると採集した時,この植物には花が咲いていたそうで,間違いなくCamellia 属植物であるが,標本が完全でなかったので新種として発表ができなかったということであった.そういう目で見ればこの標本はCamellia lanceolata に似ている.分布もインドネシアの続きと見ればパプア・ニューギニアにあってもおかしくはない.標本には,採集の情報として1940年3月9日Nabireから40キロ内陸に入ったAjerjatの岩の多い斜面の森の周辺で海抜200メートルの所にあり,樹高8メートルの木で花は頂花咲き,白花であったとのことの他,花の項目にStamenとr/4という記載があった.Stamenとは雄しべが多いという意味,また,r/4とは直径4センチという意味であろう.このように,Camellia papuana Kan. et Hat.は論文に発表されていない種であるが,その存在は間違いがないようである.
1979年10月16日から12月6日までの約2ヶ月間,私は,田川日出夫,上里健次,坂田祐介,国本忠正の各先生と共にパプア・ニューギニア各地でマレーシア・シャクナゲの調査を行いながらサブワークとしてCamellia papuana を探すこととなった.パプア・ニューギニアは,2度から12度の南半球にあり,平地は熱帯であるが,河口に広がるマングローブから熱帯多雨林,山地林,シイ帯,ネッタイブナ帯,針葉樹林,高山低木林までの垂直分布と,首都ポートモレスビーなどのように乾燥したサバナ気候に分かれている.シャクナゲの調査研究であったので調査地域は海抜1000メートルほどの山地が中心でCamellia 属植物が分布していてもおかしくないような植生の所が多かった.湿度の高いところでは多種多様なDendrobium や Bulbophyllumなどのラン類がコケの中に足の踏み場もないくらいに着生しているTropical Moss Forest には感動した.ツバキ属としてはヒサカキの仲間(Eurya tigang)などが見られたが,結局Camellia 属植物を見つけることはできなかった.ただCamellia 属植物にそっくりの果実を見つけたことがあるので紹介したい.現地の若者に登って枝や花を取ってもらって見てすぐにCamellia 属植物でないことはわかったが,果実が3室に分かれ裂果したものなどはツバキと本当に似ていた.現地の言葉では,Awake と呼んでいたが,学名はホルトノキ(Elaeocarpaceae)科のSloania forbesii F.Muellであった.なお,パプア・ニューギニアで私たちは,798のシダ植物および顕花植物,581のコケ類の標本と多くの生きたマレーシア・シャクナゲおよびラン類を収集した.これらの標本は,鹿児島大学と国立パプア・ニューギニア植物標本館(Papua New Guinea National Herbarium, Division of Botany, Lae)などに保管してある.
最後に私は国立パプア・ニューギニア植物標本館でも2日間に渡ってCamellia papuanaを探したが,そこでもCamellia 属の標本は見出せなかった.このようにCamellia papuanaは,いまだ幻のツバキのままである.いつの日かCamellia papuana Kan. et Hat.が再発見されることを期待したい.
幻のツバキ Camellia papuana Kan. et Hat.
Sloania forbesii F.Muell (ホルトノキ科)
後日談
「ある偶然」
2009年11月10日,ふと学生の時読んだ『ニューギニア探検』と言う本を思い出し,もしかしてインターネット上に載っているかも知れないと著者の金平亮三先生の名前で検索しました.何とその本が滋賀県にある西堀榮三郎記念探検の殿堂で,価格:1200円で売られていました.1942年に出版された本で40年前でも古本屋で探して絶対に手に入らないだろうと諦めていた本でした.その本が売られていたのです.見つけられたのは,本当に偶然です.早速,買いたい旨簡単なメールを出したところ,「金平亮三氏の弟さん(実は長男)のお嫁さんにあたる方が自費出版されたもので,欲しいという目的が明確であれば、特に大学等の研究者に対しては、差し上げてもよろしいとおっしゃっております」という返事をもらい,後に「幻のツバキCamellia papuana Kan. et Hat.について、嬉しく拝見いたしました。情熱が伝わってきて感動しました。ロマンですね。」ということで送ってもらいました.『ニューギニア探検』を自費出版されたのは金平輝子さんで,後日,電話をいただきました.義父を尊敬し,旦那さんが生前大切にしていたその本を読んだ時の『わくわくして読んだ」という印象が私とよく似ていて,長話になりました.後で分かったのですが,東京都の(最初の女性)副知事をされていた方で,私が古本屋などで「ニューギニア探検」を探していたことを知って喜ばれていました.
そんなやり取りをしていた11月16日に,カナダのアルバータ大学の特別栄誉教授で,国際ツバキ協会の副会長をしている比留木忠治博士からも『史話 ある偶然』(2009)という本が送ってきました.先生が,お生まれになった五島史の謎に迫るという私の興味と重なる本でした.実は,その比留木先生の実の妹さんと11月13日に肥後サザンカ展でお会いしていたのでした.もちろん初対面で,約束をしていた訳ではありません.その会場でサザンカの調査をしていた私の学生の写真をその方が撮っていて学生の卒論がシダであるということで,私と話をすることになりました.妹さんの趣味の一つがシダだったのです.話をしていてその方が,比留木先生の妹さんであることが分かりました.その朝NHKで肥後サザンカ展があることが放送されたのでたまたま来たとのことでした.これも「偶然」の重なりです.
素敵な偶然と出会いが続きました.そんなこともあって,『史話 ある偶然』を夢中で読みました.高校時代から何度か応募しようと思ったフルブライト奨学金のこと,長崎県平戸がハルサザンカの発祥の地で私の研究の対象でしたので,平戸出身で日本の園芸学会を指導された故熊沢三郎先生に聞かせていただいた志佐家のことや南蛮貿易で調べた台湾の海賊(=貿易商)で平戸の海賊松浦党と繋がりを持った王直のことなども思い出しました.平戸ツツジの起原,ハルサザンカの起原などを研究するとき,平戸など長崎県の文化や歴史が重要だったので,勉強していたのです.故熊沢先生には大変お世話になりました(『野菜つくりの昭和史―熊沢三郎のまいた種子』 月川雅夫 1994).
故初島先生は比留木先生の恩師吉井教授のクラスメート,大学院生の私をパプアニューギニアに連れて行ってくれた有隅先生は比留木先生のクラスメート,故熊沢先生も比留木先生がよく知っていらっしゃる方で,日本の園芸や植物分類の近代歴史を作った方達でした.私がお世話になった3人の大先生については,もはや園芸学会などでも知っている研究者がいなくなってしまい、改めてここに名前を載せてよかったと思いました.